また“家に一人”となったので、寝る前に地図遊び。


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武蔵国の一宮、大宮・氷川神社は、武蔵国一の大沼“見沼”のほとりに建てられた神社だったと言います。

祀られた神様も、もともとは、“見沼”の竜神様だったとか。


それを地形図で確認してみました。

氷川神社と寿能城


地形図で見ると、氷川神社が低地が台地(大宮台地)側に深く入り込んだ場所に立っていることが分かります。
江戸時代に、“見沼”が干拓されてしまう前は、神社の近くまで沼が迫っている神社だったのでしょうね。

地形図上は、太田資正が永禄三年に築いたとされる寿能城の位置もプロットしてみました。
寿能城は、沼に対して突き出た台地の上にあることが分かります。


岩付城(岩槻城)と、寿能城の関係を見てみると・・・

岩付城(岩槻城)と寿能城

岩付城と寿能城の間を行き来するには、沼を二回、台地を1回越えねばなりません。


結構、連携しにくそうですね。


中山道を扼するための拠点だったのだと思いますが、支城としては本城との連携の取り難さが課題だったように思えます。


後北条氏と太田資正の抗争の中でも、さほど名前が出てこないのは、あまり機能しなかったためか・・・