地球外の惑星において知的生命体を生む自然史が展開されたとする。

その際、初期生物群が分解しきらず地層の中で炭化水素の塊の層を生むプロセスは、どれほど普遍的なものだろうか?

仮に、化石燃料の蓄積の無い水の惑星に知的生命体が誕生していたら、その生命体の文明は、我々の文明のように化石燃料に頼った文明育成の後に脱化石燃料の困難に立ち向かうような歴史を辿らずに済むことになる。

初めから化石燃料の無かった惑星の文明と、期間限定で化石燃料を使えた惑星の文明。それぞれの収束した姿は同じものとなるのか。全く異なったものとなるのか。

もっと言えば、化石燃料無き惑星のサルは、我々より幸せなのか。

そんなことがふと気になった正月最後の一日でした。