あの手足の力が抜け、意識が遠くなってしまった異変はいったいなんだったのだろう?

脳出血、脳梗塞の疑いで脳神経外科に運ばれ、入念にMRIをとってもらったことを考えれば、脳の異常の線は薄いと思っています。心臓由来、あるいは血液中の何らかの成分量の過不足によるものである可能性も診察してもらったので、あまりなさそうです。

やはり真っ先に思いつくのは精神的なこと。
最近、特にタイに行って以降、悩みに悩んでいたのは事実です。
さいたま市の1万~3万Bq/m2の土地で、本当に我が子を育ててよいのか? 仮にそれがNOだった場合、どうすればよいのか? まだローンの残るこの家を、少しでも減価する前に売り払ってしまうべきか? もう40歳に手が届くこの年齢で転職をしなければならないのか? それも西日本では済まず、海外も視野に入れ・・・

どれも全く不可能ではありません。
今すぐ家を売り、その金を活用すれば、残るローンの負担は小さくなるかもしれません。
死ぬ気でやれば、海外への転職もやってのける自信はあります(これが全く非現実な選択肢であれば、悩みは何倍も軽かっただろうと思います)。しかし、タイのような日本より通貨の弱い国で働く場合、少なくなったローンでもその重さは相当なもの。払い切れるか、という重圧は一生自分を苦しめるでしょう。

それに、やがて私が跡を継ぐ、鎌倉時代から続く栃木の山奥の本籍地を捨てることにもなるでしょう。
あの山と畑と屋敷は、自分のルーツであり、誇りだと思って生きてきました。それを捨てることは、自分のアイデンティティを失うことです。それに、祖父なき後も今もあの土地と屋敷を守る祖母を悲しませるでしょう。祖母を支えながら、後継ぎとして頑張る父も失望させるでしょう。

それらを全て振り切ってでも、息子の健やかな成長のために、海外に出て、苦難を乗り切って育て上げたとしても、息子は異国に育つ異邦人になってしまうでしょう。他国を差別するわけではないのですが、自分が息子のために、限界まで自分の能力を振り絞って戦ったとしても、息子を普通の平凡な日本人として育てることすらできない、という予測は、私の心を暗くしていました。

どんなに希望がなくとも、それでも健康のために、この地を、日本を捨てると判断をするには、1万~3万Bq/m2の土地で子供を育てるということが本当のところ、何を意味するのかを検証しなければならない。そう思い、帰国後は、チェルノブイリ関係の健康被害関係書籍を合計で10冊以上買い、読み込む生活は、あまり精神的に健やかなものではありません。
しかも、それを妻子と遠く離れて、広い家で一人で追いこみながら行うことは、精神に余計な負担を与えていたと思います。

脳梗塞や心臓疾患の可能性が無いと告げられた時、脳裏に浮かんだのは、こうした精神的な負担が、あの事態を招いたのではないか、という疑いです。

しかし・・・こうした精神的な負担は、やる気・活力をそぎ、無気力な状態に自分を追い込むことはあっても、談笑の最中に力が抜けて椅子に倒れ込むような事態にはあまり繋がらない印象があります。
鬱病に陥った人を何人か知っていますが、突然倒れる、という話は聞きません。
寝たら、もう起きたくなくなった、という話はたくさん聞くのですが。

しかも、あの日の前の晩、私は、自分なりにチェルノブイリ研究を総括し、1万~3万Bq/m2の土地ならば移住せずともなんとかなる、という結論を自分の中で出したばかりでした。この時の安堵感を書いたのが、「チェルノブイリ本三冊」という5月8日のエントリーです。

 *

いつもであれば、仕事のし過ぎ、睡眠不足、ということも考えられますが、今回は、タイで比較的のんびりした後ですし、帰国後も丸3日間、家でのんびり過ごしています。
仕事のし過ぎ、睡眠不足は、今回はあたらないと思うのです。

では、何が?

書いていたら、長くなってしまったので、ここで切ります。

(続く)