救急者に乗ってからも、すぐに病院に連れていってもらえるわけではありません。
救急スタッフが運び込む病院候補を探すため、問診があります。

私が、手足の力が抜けたこと、前日から指先に痺れがあったことを伝えると、「では、脳神経外科のある病院をあたることにします」。
幸い、最寄りの大学病院からOKをもらい、5分後には救急医療センターに運び込んでもらえました。

この早さは、かなりのものだと思います。3年前に、時間帯は深夜、場所は江戸川区で、妻の胃痙攣で救急車を呼んだ時には、救急車が来るまでの時間が長く、運び込み先の病院探しでも10分以上手こずっていました。
時間帯が平日の昼間で、場所も消防署に近く、さらに大学病院も多いエリアだったから可能だったのかもしれません。

ありがたいことだ・・・と終始恐縮する気分でした。

 *

ただし、病院についてからがのんびりでした。
どうも、私の問診に対する回答があまりに業務報告的で「これなら大丈夫だろう」と思われたらしく、他の急患への対応が優先されていたようです(結果的に、それでよかったのだと思います)。

採血と点滴を行うまではスピーディでしたが、その後脳のMRIを取るまでは30分以上間がありました。
その間、横になった姿勢と点滴の効果のせいか、自分がメキメキ元気になっているのを感じました。
「これは・・・たぶん、脳梗塞とかではないぞ・・・」
と、変な汗をかきはじめた頃にMRIを取ってもらい、更に2時間待たされてから、
・脳出血の形跡無し
・脳梗塞の疑いある箇所無し
・心電図に問題無し
・血液の各種成分量に異常なし
・故に、救急対応の余地なし
という結論を聞きました。

その時には、もうすっかり気分もよくなっていたので、その説明には、心底納得しました。

 *

救急車に同乗し、病院でも結果がでるまでの3時間待ってくださった課長に、診察結果を報告。
「全然大した症状ではありませんでした。お騒がせしてすみませんでした」。
課長は、「よかった。しかし、執務中に立っていられないような目まいに襲われたのは事実だ。これまでそんなこと一度もなかったのに今回はあったのは何かのサインだ。大丈夫と思っても、明日と明後日は休みなさい。それと、ご両親には私から連絡したが、とても心配していたから、診察結果を早く教えてあげなさい」。

 *

両親の心配ぶりは尋常ではなかったので、安心させることを考え、この日はさいたま市の家には帰らず、そのまま宇都宮に向かうことにしました。
結果的に、休むようにと言われた二日間を両親のところで過ごし、今日さいたま市に戻りました。

大事に至らず、本当によかったのですが、あの時、力が抜けて意識を失いそうになったのは何故か?
今はそれを考えています。

(続く)