今日は、茶帯としての品格について考えさせられました。

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今日の稽古は、仕事を一時抜け出して途中参加。
ミット打ちからの合流でした。

そこからのメニューは、
中段回し蹴り中心のミット打ち
仕掛け側がフリーの受け返し
技限定スパーリング
  (突きのみ、蹴りのみ)
三戦立ち基本技の確認
補強運動(腹筋、拳立て伏せ)

前回の稽古でのステップの課題を受け、
今回は受け返しとスパーリングでは、回り込むステップや斜めにインサイドに入るステップをいろいろ実験。
型から考えたものや、新極真空手のDVDで見たことがあるものなど、試したいと思っていたステップを、仕掛ける時も受けるときも思い付くままに試してみました。

イメージを現実にぶつけることで、自分にとって使えるか使えないかを確かめていくエキサイティングなプロセスでしたが、しかし、いささかやりすぎました。
いつの間にか、自分の試したい足運びに意識を傾け過ぎ、相手の攻撃を確実に受け流すための手足の受け動作がおろそかになっていたのです。

青帯のNさん(殺人キックのイギリス人)の蹴りを、曖昧な手足の受け動作でやり過ごしてしまった後で、先生から厳しい指摘が飛びました。

茶帯は、帯下の攻撃は、ほとんど全て受け切るものです。普通は、茶帯にはそう簡単に帯下の攻撃は当たらないんです。いいですか、茶帯を締めているなら・・・
最後は言いかけて口を閉じ、「続けて下さい。

先生の言い淀んだ言葉に、ガツンと頭を殴りつけられた思いがし、心の中でうなだれました。

やっとスパーリングクラスに定期的に出られるようになったゾ、と浮かれ、自分のことしか考えていなかったのですね。

受け返しやスパーリングで目先の勝ちを狙わず、いろいろ試すのは、強くなるために必要なこと。しかし、それと同時に茶帯以上になれば、下の帯に模範を示しながら稽古する義務も与えられている。
そのことを忘れていました。

そう思うと、生煮えのアイデアをひたすら試していた私の今日の空手には、締めている帯の品格は無かったと言えます。
外国人のパワーとリーチに、気持ちが逃げているところもあったのかもしれません。

ここで気持ちの仕切り直し。
まずはもらった帯の色に恥じない手本になる空手を、真っ直ぐ正攻法で体現します。

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30歳過ぎてちょっと青臭いかもしれませんが、仕事では「プロフェッショナルでござい」と強めに出なければならないシーンが多いので、バランスがとれて丁度良いかもしれません(笑)。