「軍縮は傘をズボメておいたやうなもので、必要のある時は出して張れば好い、斯様な場合には國民が宅に在って個人鍛錬が必要だ、さうして國家が必要な場合は出して銃剣の取扱いを教へれば良い、私はこの教育は四五箇月も費やせば出来ると思ふがマアマア六箇月も教へれば大丈夫だらう、唐手はこの個人鍛錬に最も適当な武術だ、どうか人道の為に普及して呉れ」
富名腰義珍(1925年):「第四編 唐手術研究余禄」、『錬胆護身 唐手術』より
この文章を読んだときは、「誰の文章だ?」と思いましたわ。
『錬胆護身 唐手術』の「第四編 唐手術研究余禄」には、主に著者の富名腰先生以外の人たちの文章が載せられている。
またぞろ空手愛好家の軍人の文章か? と思ったんですわ。
少し軽薄な感じがするし、まして他の部分の富名腰先生の文章とは筆致がまったく異なる。
ところが、ほかの軍人やジャーナリストの投稿とは違い、この文章には文末に、筆者名がない。
それどころ、下のような一文が・・・。
「柔道師範嘉納先生には今を去る十数年前から唐手の長所を認められ、高等師範出の金城三郎氏を介して私に唐手教授の相談を受けたことがある、当時私は未だ研究中未熟の謙遜を以って御断り申したが、今度の出張を機会に此間実演を御覧に供したら大いに満足を与えらへ、私の方でも研究して見ようと語られた」
柔道の嘉納治五郎先生に空手を披露したのは、他ならぬ富名腰義珍先生。
ということは、冒頭のやや軽率な印象を受ける空手賛歌は、富名腰先生の文章ということになる・・・。
富名腰先生といえば、空手の試合も禁止され、私闘その他、粗暴のことの一切を頑なに禁じて、かえって昭和に入ると血気盛んな若い空手修行者たちから疎まれる一面もあった、そういう人物であったはず。
しかし、その富名腰先生も、あっさりと唐手と軍人教育を結びつけ、軍縮会議に対して他の日本人と同様、臥薪嘗胆の想いを感じていたのか・・・。
先日も、『錬胆護身 唐手術』の中に、時代の雰囲気を感じたはみ唐さんでしたが、今回は先日以上のインパクトを感じてしまいました。