中学3年になると、受験もあることから進路について本気で考えなきゃなりません。将来の夢とそこへ向かうにはどんな方向に進むべきか。友達は看護師になりたいので看護科がある高校とか、絵を描きたいので美術科とか、わりとはっきりと将来を見据えている子が多かったように思います。中には制服が可愛いからと、志望校を選ぶ子もいましたが、どんな選び方にしろ志望校がはっきりしている人が羨ましく思っていました。私はというと。…どうしても、頭のことがひっかかり、当時はいつか治ると思ってもいたのですが、それでもやはり積極的に将来を夢見るなんてことができず、高校なんて県内あちこちから人が集まる場所で制服に帽子なんて格好をしなくてはいけない目前の恐怖ばかりが気になってしまっていました。できれば高校は行きたくない!だからといって何かしたいことも出来ることもあるわけではなく、ただ単に逃げたかった。憧れていた職業はあったのです。白バイ隊員か自衛隊員。あと、探偵(笑)。
激しい動きは帽子が取れるし、あの格好いい制服にこの頭…無理ですね。それでも!と言うほど強い気持ちがあった訳でもなく、気持ちがあったとしても、それでも!と自分自身と戦う強さがあった訳でもなく。ただそうなると、どんな仕事も頭のことが邪魔して就けない。この頭が通用するのは、罰当りな言い方ですがお寺に入るしか。ちなみに中学時代、陰で尼さんと呼ばれているのは気付いていました。とにかく、将来がイメージできないので進路が決めれないし、高校に行くっていう覚悟もできない。それでも先々は働かなくてはならない。心から、この病気って障害認定とかされていないけど、社会で暮らすうえでは相当なハンデになる。どうにかならないものかって思っていました。もちろん大変なことを抱えてる方がたくさんいるのも承知の上でしたが、今でもその感覚は変わらないのです。今の自分が、というより、当時の自分や、同じような病気を抱えた子に対して、やっとの思いで社会生活を送っている心情を少しでも察してやって欲しい。どうにかならないものかって思っています。     ともかく進学か否か、親としては将来の選択肢を増やすためにもせめて高校は行くべき、の声に圧され成績の範囲内でなんとなく、普通の学校を選んだのでした。何処にあって、どんな校風で、どんな制服かも知らないままだったので受験前に慌てて行き方と場所を母と調べる始末です。受験にしても大勢の人の目に晒され試験がどうこうより、気持ちが持ちこたえられるかの方が不安だったと思います。正直、受験の時のことは行き帰りを含めほとんど覚えていません。覚えているのは斜め前の女の子がすごく美人だったことくらい。ちなみに彼女とは高校で同じクラスになり最後まで仲良くしてもらいました。受験も合格発表もあまり記憶に残らず、多分自分をしっかり保つことで精一杯だったのだと思います。とにかく誰とも目を合わせず誰の声も聞こえないように一人で淡々と作業していくような感じでした。怖かった。成長していく過程でもあったのだと思います。いつまで続くかわからないけれど、この頭でも生きていかなきゃいけないから、自分なりの方法を探していました。せっかくの受験も合格したときの気持ちも何も残っていなくて、今思えばもったいないのですが、必死だったのでしょう。