旋盤工と作家、もちろん旋盤工が主です。僕、呑兵衛なもので、平日は日本酒で晩酌。書く暇はないんです。書くのは日曜だけ。そもそも旋盤工になったのは生活の為です。魚屋の家に生まれたんですが、子供の頃から町工場を見て育ったんですね。身近なものだったんです。当時の町工場の従業員といえば、戦前からの徒弟制度で叩き上げの職人ばかり。両親は許してくれたのか?と経営者がびっくりしてました。30歳の頃3人目の子供が産まれたんですが、生活が苦しくてねぇ。女房は質屋通いをしてました。で、いよいよ覚悟した。今さら転職は出来ないし、旋盤工としてきちんと腕を磨くしか無いと。それからは毎日ノートをつけるようになった。仕事の覚書です。ただ町工場ですからね。仕事時間に応じて、残業代が入るとは限らない。経営者が、日本酒一本持ってきて、これで勘弁してくれ。という事もあった。ましてや、自分の家で勉強する分を残業だなんて、請求出来る訳が無い。材料を削る角度を割り出す為に、関数を勉強しなくてはならなくなって、高校の数学の参考書と首っ引きで、うなされたこともありました。(笑)それを10年近く続けた頃、僕は本当の旋盤工になったと思う。職人は言葉が乱暴だから…ジェット機やスペースシャトルで使う特殊鋼の時は新素材だから削る為の刃物も無い、「こんなもん、削れるわけがねえじゃないか!何考えてんだ?」って(笑)それでも、難しい仕事になればなるほど、やる気になるのも職人。作業現場は見せられないですよ。誰もがえっ?と驚いてしまいますからね。が、利用できるものは何でも利用する。町工場の職人の真骨頂は創意工夫にあるんです。そして、製品に個性があってはいけない。伝統的な職人は豊かな個性があっていい。けれど僕らが作る工業製品は互換性が求められる。誰が作ろうが同じ寸法でなければならない。人の匂いや個性のあるものは作ってはいけないんです。
小関智弘1992