最も不利な立場に置かれる支持者という存在

 

第一弾では、中革連(中道改革連合)における公明党と立民の力関係、そして政策がどのように決定されていくのかという構造を整理した。本稿では、その構造の中で誰が最も不利な立場に置かれているのかに焦点を当てたい。

 

結論から言えば、それは立民系議員でも、公明党でもない。立民の支持者である。

 

 

 

1.合併協議を経験した幹部が共有する「現実」

 

中革連の合流協議に関与した立民幹部は、公明党との協議を通じて、いくつかの現実を突きつけられているはずだ。

 

公明党の政策は交渉可能な「案」ではない

立民の従来政策は、原則として修正・採用の対象にならない

「中に入って議論し、変える」という構図は成立しない

 

 

これらは理念の違いではなく、意思決定構造の問題である。一度でも協議の場に立てば、否応なく理解させられる類の現実だ。

 

 

 

2.それでも支持者には語られ続ける物語

 

にもかかわらず、立民は中革連合流にあたって、支持者に対して次のような説明を続けてきた。

 

理念は守られる

政策は中から変えられる

議論によって同意形成が可能である

 

 

これは、幹部が共有している現実とは明確に異なる物語である。しかし、合流を正当化するためには、この物語を手放すことができない。

 

結果として、現実を知る幹部と、物語を信じる支持者の間に深い非対称性が生まれる。

 

 

 

3.辺野古問題に見る二重構造

 

この非対称性を象徴するのが、辺野古基地問題である。

 

辺野古移設は、鳩山由紀夫民主党政権時に事実上断念されている(2010年5月)

それにもかかわらず、立民は長年「辺野古反対」を支持者向け政策として維持してきた。

 

一方で、中革連発足に際し、安住淳幹事長は「辺野古反対は現実的ではない」と発言した。

 

ここにあるのは単なる路線転換ではない。支持者向けの言説と、幹部が前提としている現実の分離である。

 

 

 

4.松下玲子の文書が示した限界

 

松下玲子が支持者向けに示した「中に入って中から議論し、同意を形成し、変えていく」という説明は、本人の認識としては本気であった可能性が高い。

 

しかし、合併協議を経験した幹部層にとって、その構図が成立しないことは既に明白である。だからこそ、当該説明は修正され、発言は削除されていった。

 

問題は松下個人の誠実さではない。不可能だと理解している説明を、支持者に対して否定も訂正もせず放置したことにある。

 

 

 

5.説明されないコストを負わされる支持者

 

中革連の形成過程で、政策の後退や転換に伴うコストを誰が負っているのか。

 

公明党は何も失わない

幹部は現実を理解した上で選択している

立民系議員は沈黙・適応・離党という選択肢を持つ

 

 

一方、支持者だけは、

 

正確な前提を知らされず

「変えられる」という説明を信じさせられ

結果として政策後退を既成事実として受け入れさせられる

 

 

支持者は意思決定の当事者ではないにもかかわらず、最も大きな説明不足のコストを負わされている。

 

 

 

結論──支持者を弱者にする政治構造

 

中革連の問題は、特定の人物の善悪ではない。構造の問題である。

 

創価学会で方向性が定まり、公明党に宣下され、立民が適応する。その過程で、支持者だけが真実を知らされない位置に置かれている。

 

その結果、支持者は失望し、政治不信を深める。しかし問題は感情ではなく、説明責任を果たさない政治構造そのものにある。

 

中革連とは、政策を変えられない連合である以上に、支持者を最も不利な立場に追い込む連合なのである。

 

 

 

補論:発信の「本気」と「知った上での沈黙」という二重構造

 

松下玲子氏の支持者向け発信や、小西洋之氏による

 

> 「中革連の基本政策は立民の党見解と整合するものと考えています」 という発言は、中革連の権力構造に対する無知から来る本気の発信である可能性は否定できない。

 

 

しかし、仮に本気であるとすれば、問題はより深刻である。

 

それは、

 

創価学会≫公明党≫中革連という力関係

公明党が政策決定の主導権を握り、異論を許さない体質

合併協議に参加した幹部層がすでに理解している現実

 

 

これらを客観的に見れば、「整合する」「継承される」という主張が成立しないことは明白だからである。

 

現実と整合しない主張を、現実を直視した上で修正できない政治家は、 率直に言えば起きながら夢を見ている高齢者であり、 現実問題をどう解決するかを議論すべき立法府の構成員としては完全に不適格である。

 

一方で、野田佳彦、安住淳、本庄知史といった党幹部クラスは、 中革連の権力構造を理解した上で沈黙を選択している側と見るほうが合理的である。

 

彼らは、

 

党所属議員に対して

支持者に対して

さらには国民に対して

 

意図的に何も説明しないという選択をしている。

 

この時点で、元立民系議員は

 

現実認識能力を欠いた政治家不適格者

もしくは現実を知りながら説明しないウソつき

あるいはその両方

 

のいずれかに分類されることになる。

 

結論として、中革連は公明党100%の政党であり、 元立民議員は実態として公明党の陣笠議員に過ぎない。

 

立民の政策は、党幹部自身が「現実的ではない」と認識している以上、 1%も継承されていないと見るのが妥当である。

 

従って、 中革連に投票する合理性があるのは創価学会の信者のみであり、 それ以外の有権者にとっては、 自らの政治的意思を無効化する行為である可能性が高いと言わざるを得ない。