私は常々、なぜ財政再建のために増税を、また人手不足対策として外国人労働者の受け入れを、あたかもそれが「正義」であるかのように論じるのか、不思議でなりませんでした。
いずれも近視眼的で、長期的な国家の展望を欠いた政策であり、真の国益を見据えた議論とは言い難いものです。

官僚や経営者が「前例踏襲」や「任期中の無難な運営」を優先しがちなことは理解できます。
しかし政治家までもが、「今だけ・カネだけ・自分だけ」良ければよいという発想に陥れば、国家の将来は危うくなります。
政治こそ、短期的な利害を超えて中長期の国益を追求すべき使命を負っているはずです。

政治家が政治活動を行ううえで多額の資金を要することは現実であり、その必要性を否定するものではありません。
しかし、問題はその資金源です。
政治家が資金難に直面した際、巨額の献金を行う企業や団体に恩義を感じずにいられる人間は少ないでしょう。
また、支援する側も見返りを期待せずに支援することは稀です。
この構図のもとでは、政策決定の独立性が損なわれ、増税や移民政策のような「愚策」が生まれる温床となりかねません。

これは決して「悪意」から生じるものではなく、「人としての自然な心の動き」です。
しかし、だからこそ問題は根深く、制度的に断ち切らねばならないのです。

献金の完全公開(ガラス張り)や匿名化(マスキング)といった制度的工夫を検討しても、人の心の動きまで制御することは困難です。
政治家が真に独立し、自らの信念に基づいて政策を立案するためには、企業・団体献金を全面的に禁止し、政党交付金などの公的資金および個人献金のみによって政治活動を支える仕組みに改める必要があります。

政党が企業や団体に依存する「支配される政党」から、国民と党員に支えられる「自立した政党」へと生まれ変わること。
それこそが真の意味での「解党的出直し」であり、それを成し遂げられない政党は、いずれ国民からの信頼を失い、自然淘汰されることになるでしょう。