石破茂が、総裁辞任表明後にもかかわらず「戦後80年に寄せて」と称する『所感』を発出したことに、強い懸念を表明します。

 

石破茂は現時点で、新体制発足までの暫定的措置として総理大臣職にあるに過ぎず、国政上の重大方針を一方的に発する立場にはありません。にもかかわらず、このような文書を「総理大臣所感」として発出したことは、政治的にも外交的にも極めて軽率であり、日本の国益を著しく損なう行為です。

 

この『所感』は、既に安倍晋三元総理が「戦後70年談話」において事実上終止符を打った歴史認識問題を、再び国際社会の俎上に載せた愚策にほかなりません。日本が過去の問題を再び「自己否定の物語」として演出することは、反日でしか正統性を主張できない勢力に利用され、今後の外交における大きな足枷となることは明白です。

 

私は、この『所感』の発出を止めることができなかった自民党の組織的責任を重く受け止めます。

ただし、私は自民党に対して、この『所感』を「公式に無効」とすることを求めません。なぜなら、それは外交上「日本が反省を撤回した」と受け取られ、さらなる国益の損失を招くからです。いったん発出された『総理所感』は、いかなる形でも「取り消し」も「修正」も不可能です。だからこそ、発出そのものを止めるべきだったのです。

 

今回、自民党はその判断を誤りました。

私はもはや自民党に、国を託す責任政党としての能力を見出せません。重要なのは、保守か否かではなく、実現可能であり、かつ問題を解決できる政策を掲げる政党であることです。

 

『戦後80年所感』は、安倍晋三元総理が外交的に解決した問題を蒸し返しただけの、愚かで非現実的な行為でした。

ゆえに私は、自民党を見限ります。

この判断は感情ではなく、冷静な政治的評価に基づくものです。

 

石破的政治家を一掃するには、自民党ごと滅ぼさなければならない――そう痛感しました。

 

最後に付け加えるならば、「無責任なポピュリズムに屈しない、大勢に流されない政治家の矜持と責任感を持たないといけない」という言葉は、民意を“ポピュリズム”と見なし、選挙結果を軽視してきた石破茂らしい発言でした。正義感が非常に強く国民を愚昧な大衆と馬鹿にする石破茂らしい言葉で、実に象徴的です。