憲法における自然権保障の本質と、現行憲法の構造的欠陥について

はじめに

一般に「憲法は国家権力を縛るためのもの」と説明されますが、私はこの定義では不十分であり、本質を見誤ると考えます。
憲法とは何よりもまず、人間が生まれながらに持つ自然権(基本的人権)を恒久的に保障するための義務規範であり、国家と国民双方に対してその行動を制約するものです。

この視点に立てば、国家権力の制限とは自然権を守るための「手段」にすぎず、目的ではありません。国民が国民の権利を侵す場合にも、憲法はその行為を制限する指針を与えなければならないのです

 例1:言論の自由とその責任

現代社会では、SNSをはじめとする情報空間において、個人が他者の言論の自由を実質的に抑圧したり、名誉・人格を破壊するような行為が横行しています。
「言論の自由」は権利であると同時に、その行使には倫理的責任と他者の尊厳への配慮が伴うべきです。

日本国憲法第21条は表現の自由を国家からの自由として保障していますが、国民相互の関係においても、他者の自然権を侵害しない限度での表現を求める視点が必要です。
この観点は、憲法が国家のみならず国民にも行動規範を課すという理解の上で極めて重要です。

例2:日本国憲法には自然権としての自衛権が不在

最大の問題は、日本国憲法において、外敵からの侵略や重大な人権侵害に対する自然権的自衛の規定が存在しないことです。
人類が国家を形成する原始の目的は、外敵から身を護ることだと考えます。人間は単独では脆弱な存在なので集団を形成し身の安全を図ったものと推測します。つまり、『自衛権』は人類が国家を形成する根源的目的であり人が生まれながらに持つ『自然権』に他なりません。

 

憲法第9条は、国家の戦力不保持と交戦権否認を謳っていますが、国民の生存権、身体の自由、安全に生きる権利という最も基本的な自然権に対し、国家としての具体的な責任や行動原理を何も示していません。

この結果、北朝鮮による拉致事件のように、国家が主権を侵され、国民の自然権が奪われても、有効な対応ができないという異常な事態が生じています。
本来、自然権の保障は平時も有事も問わず貫徹されるべき原理であり、それを明文化していない現行憲法には構造的欠陥があります。

結論

私は、憲法を単に「権力を縛るもの」と見るのではなく、国民の自然権を守るために国家と国民双方に義務を課す規範と位置づけるべきだと考えます。

その立場に立てば、現行憲法には以下の改善点が必要です:

1.自然権を守る「責任」と「他者の権利との調整」を規範化するこ

2.国民が侵略・拉致などにより自然権を侵害された場合の国家の行動義務を明文化すること

3.国家の防衛権を、国民の自然権保障という文脈において明確に位置づけ直すこと

これらは、民主国家における自由と安全を両立させるための、不可欠な憲法的補強であると考えます。