2PMのJun.K が入隊した怒濤(どとう)部隊とは?
ソウルから120キロ
怒濤部隊は第2師団を象徴する部隊名だ。
韓国軍の数多い師団の中でも「第2」と名付けられているだけに、番号からして伝統的な師団であることがわかる。
創設は、1950年に始まった朝鮮戦争よりも前だ。
朝鮮戦争の戦況を一変させた1950年9月の仁川(インチョン)上陸作戦でも戦果を挙げたと言われるほど、韓国軍の中で特別な伝統を持った師団である。
現在、この怒濤部隊が駐屯しているのは、江原道(カンウォンド)の楊口(ヤング)郡だ。ここは、韓国の最北部で、軍事境界線と接している。
もっと具体的に言うと、楊口郡はソウルから東北方面に120キロほどの場所にある。西側では鉄原(チョロン)郡と華川(ファチョン)郡と接していて、南側は春川(チュンチョン)市である。
そして、北側は軍事境界線をはさんで北朝鮮と接している。
別名は「山岳部隊」
軍事境界線というと「北緯38度線」とよく言われるが、楊口郡の場合はその38度線より北にある。
それだけ、最前線だということだ。
そんな場所に位置している怒濤部隊の一番の目的は、北朝鮮が侵略してきたときにいか
この怒濤部隊が位置しているのは、典型的な山岳地帯。地形的には非常にアップダウンが多い場所だ。
それゆえに、怒濤部隊は別名で「山岳部隊」とも呼ばれる。
このように、地形の高低が大きい地域では戦車がなかなか使えない。それだけに、歩兵がどれだけ機敏に動けるかということが重要な役割を持っており、集団としての統率力や個人としての戦闘能力の向上を訓練の目的にしている。
秘密主義の部隊
怒濤部隊は韓国の全師団の中で、「訓練の量が一番多い」と言われている。そうした訓練を通して、戦闘力が非常に高い歩兵や砲兵が育てられている。
なお、韓国がアメリカと合同軍事訓練をするときにも、一番多く合同軍事訓練に参加するのが怒濤部隊だ。
この事実を見ても、怒濤部隊の重要性がわかる。
そんな怒濤部隊は、情報の面では秘密主義になっている。その結果、部隊の特徴というものがあまり民間に伝わらない。
また、怒濤部隊で兵役を終えた人たちは、社会に復帰しても軍の内部のことを語らないと言われている。
情報が統制されている部隊の1つなのだ。
体力訓練が多い
怒濤部隊の幹部は、韓国軍の中でも最高レベルのエリートが選ばれている。
軍事境界線に接している地域を守っている師団は韓国軍の中でもいくつかあるが、その中でも特別な重要性を持っているのが怒濤部隊なのである。
この怒濤部隊は、師団の中に新兵教育隊を持っている。2PMのJun.K も、その新兵教育隊に入った。
新兵教育に関しては、他の師団と同様に基本的な新兵訓練プログラムを行なっているので、この怒濤部隊の新兵教育隊だけが特別に厳しいというわけではない。ただ、山岳地帯という地域的な特徴があり、体力を鍛える訓練がさらに加わっている。
なお、この怒濤部隊の新兵教育隊で新兵訓練を受けた場合には、新兵訓練が終わった後でもそのまま怒濤部隊に配属されて軍務を行なう場合がとても多い。