時に、初春の令月にして気淑く風和らぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす。
万葉集を引いて高尚さを醸し出そうという姑息な企みwはおいておくとして、初春の旅へと出かけました。
身延線の特急「ふじかわ」に揺られ、車窓から雄壮な富士山を眺めながらののんびり旅です。
山頂が雲に覆われた富士山も身延線が山間に入ると見えなくなり、富士川と山の麓に点在する集落の風景へと変わります。
「ふじかわ」は特急ですが、割と停車駅が多くローカル線の雰囲気もありますね。昨今のご時勢か、外国人観光客が多かったです。
そうこうしているうちに甲府駅に到着しました。
列車からホームに降りるとモニュメントがあり、旅情が唆られます。
旧甲府駅の釣鐘。「かふふ来(幸福)の鐘」というそうです。発車の時に鳴らしていたのでしょうか?
上部だけ移築された煉瓦倉庫。照明用のランプと燃料の置き場として使われていたようです。全体が保存されていないのが、なんとも残念です。
跨線橋の鉄柱。錆びてはいますが、とてもしっかりしています。跨線橋を支えていた鋳鉄製の柱には「明治三十六年」と製作年が記されていました。
ホームから階上の改札口へ向かうと立ち食いそば屋があり、かなりそそられましたが、まだお昼には少し早い時刻なので、いつか食べようと心に決めて後ろ髪を引かれる思いで改札を出たのでした(大袈裟😆)
駅の北口広場に立派な建築があります。旧い小学校校舎を復元移築した「甲府市藤村記念館」です。藤村紫朗は明治初期の山梨県令で、藤村式建築と呼ばれる擬洋風建築の公共建設を推進しました。一昔前の土建屋知事って感じかなw
擬洋風建築は日本の伝統的木造建築大工たちの、見よう見まねと自由な発想と解釈で建てられた和洋折衷の建築です。
バルコニーの装飾に和が感じられます。
洋風なのに和風が、何だか落ち着きますね。
教室の風景は今に通ずるものがありますが、やがて全部リモートになってしまうのでしょうかねぇ。
ストーブと石炭容れ。
懐かしいリード・オルガンです。
細かい装飾が和風ですね。
石造りの洋風も取り入れられています。
藤村記念館は見どころが多いのに無料なのがいいですね。
さて、お次は武田通りを歩いて武田神社へ向かいましょう。
武田通りにあった店舗。この風合いが堪りません👍
ポカポカ陽気は春より初夏?って感じで長閑な散策を楽しみました。4月頃には桜並木で、また一段と美しいのでしょうね。
もうすぐ神社という辺りで、蕎麦屋発見!そろそろお昼時なのでと入ることに。
古着屋さんの建物の脇を通って、民家の玄関に「やかたそば」の暖簾が出ていました。「やかた製麺」さんです。なるほど古着屋さんと同じ建物なのね。
暖簾をくぐって玄関を入ると、おばあちゃんが出迎えてくれました。親子?兄弟(姉妹、兄妹、姉弟)?と訊かれたのですが、軍曹とわたし、どっちが親だよ、どっちがどっちだよw
民家をそのまま店舗にしてるので、まるでおばあちゃんの田舎に帰ってきたような雰囲気。とても落ち着く空間です。
もりそばを注文し、待つ間に鳥モツ煮でビールをいたたぎます。甘辛く煮た砂肝とピーマンが美味しい☺️ これ白ご飯にもバツグンに合うやつだ。
蕎麦は平打麺の十割?ですがコシが強く、とても美味しゅうございました。
蕎麦屋を出てすぐに武田神社に到着です。
武田神社は武田氏の居城であった躑躅ヶ崎館の跡地に建てられています。館といっても周囲は濠がめぐらされており、周辺の山城に囲まれた作りから城塞といってもよい規模です。
前の道路も綺麗に舗装されていますね。赤い橋で濠を渡って境内へ入ります。
階段、狛犬、鳥居、いい感じです。
雄々しい吽形。
猛々しい阿形。
鳥居をくぐって参道を歩くと、左手に松の木があります。「三鈷の松」といわれ、普通の松の葉が二つなのに三つあるのが特徴です。信玄が亡くなった時に、信仰していた高野山から種子が飛んできたのだとか。
武田菱を模した手水舎です。
檜皮葺の拝殿。
山梨王に俺はなる!🤣
武田信玄も使っていたという井戸。まだ水を汲み上げられそうですね。
参詣のあとは躑躅ヶ崎館の周囲の遺構を見て回りました。
少し歩き疲れたので、神社前のお店でソフトクリームをいただきます。