久しぶりに母親に連絡してみた

前回連絡した時は、姉と一緒に出掛けていて、感情が安定していて、

母親らしい対応を少しでも期待してしまった

自分の心の甘えだと後悔

結果、やっぱり疲れた

もうしばらくしたくないと思ってしまった

兄(障害者精神、知的など…)

内容はほぼ自分の生活の不安か…お金などの

母親も精神障害なのだったら、それも仕方ないのか

ほとんど聞いて、こちらが慰める

電話を切った後、涙が出てきた

母親もやっぱり知的なのだろうか…というか、

精神障害が、やはり隠しきれないような気がやはりする

老人は当たり前なのだろうか、自分も老人になったらそうなるのだろうか

そうはなりたくない

そうだった…この世はそういう思い通りにいかない感情を学びに来ているんだった


電話している時はまんまと学びの最中だった

心では分かっていても、この世の学び辛い

きっと死ぬまで終わらないんだろうな


母親や、兄が生きてる間は心の底から

落ち着ける日はきっとこないのだろうと

思ってしまって、涙が出たような気がする


きっと因縁やカルマ解消の学びと思うしか…

兄弟児、母親も、やはりあやしい、

遠くに離れて住んでいても、時折、

胸が苦しくなる

自分亡き後の障害者の兄を一人残して(姉と私)

の事は考えてないような態度

考えていない事もないとは思うが、

基本自分優先か

老人の思考はこんな感じの人が、多いのだろうか…いや皆そうでないと信じたい


昔はそんなことなかったのに(まだ兄の障害が分かる前の私達が子どもの頃は)

障害者の兄という存在が、私や姉から普通の母親を子どものようにいうなら、取られたような


自分は永遠に生きられると思ってるような

兄と親子揃って永遠に生きられるのであれば

私や姉もどんなに楽だろう


兄をどうするか…その不安がないだけで、

気が晴れる


しかし、学びとしてそういう感情を学んでいる

それがあったから、忘れてる時はとても、

生きてるだけで、平和を、感じられて

幸せを感じられる事も出来る

気持ちを整理したら、気持ちの切り替えが

早い自分にも感謝だ


兄弟児(もうすぐ40歳)だが、兄弟児に

年齢なんて、関係ないのかもしれない

やっぱり歳重ねても傷(絶望感?!)

はまだまだ健在だ


今回はこんな魂の学びで、生かされる日まで、

学びながら、今日も生きていく


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