龍泉洞を出て、叔父の提案もあり海岸まで出て、津波の爪痕を見ることに。
もしも、このブログを見ている方で実際に津波の被害に遭われた方は嫌な思いをされるかもしれません・・・。
でも私は実際にこの目で見て、色々なこのを考えて感じることができたので良かったと思っています。
やはり、テレビで見るのと実際にその場にたってみて感じるものは全然違いました。
まず少し地図でご紹介
今回の岩手旅行の2日目の行程です
Aが母の実家で、田老はあの位置になります。
叔父はAの位置から毎日田老に働きに行ってたのです。
気仙沼や陸前高田とはかなり離れた岩手県の中でも少し青森よりの海岸です。
ちなみにつなぎ温泉は小岩井農場の近くです。
画像は小さく載せますので、クリックしてみてくださいね。
田老の辺りでは、だいたい住居の1階から2階くらいまで津波が押し寄せたようです。
このあたりでも海岸からはかなり離れています。
これは海岸方面から山の方を写したものです。
手前には家の土台だけ残されているところがたくさんあります。
海岸の方にカメラを向けてみます。
マンションでしょうか?ホテルでしょうか?2階部分まで津波が来たことがわかります。
震源地からこんなに離れた場所でこの被害・・・
今回の東日本大震災がどれほどの大きいものであったのかがわかります。
ここは橋になっていて下には細い川が流れていました。
細い川と言っても、震災時にはきっとここをつたって大津波が押し寄せたんでしょう。
いくつもの花束が置いてありました。
初めて見る、被害の大きさに私は涙を止めることができませんでした。
夏だったこともあり、雑草が生い茂っていてここにどのくらいの住居があってどのくらいの人が住んでいたのかもわかりません・・・。
叔父は震災後この辺を通ると、あまりにも家がなくなってしまったため、自分がどこを走っているのかわからなくなるそうです。
そのくらいこの辺一帯には住居があったんだと思います。
上のように1階部分を修復して今でも生活している方がたくさんおられました。
もちろん新築のようにキレイなおうちなのに1階部分だけこんなふうになっているおうちもたくさんります。
新しくこの土地で生活を初めてすぐに震災に合った方もたくさんいるのでしょう。
田老の海岸線のガソリンスタンドでガソリンを入れました。
そちらは年配のご夫婦2人でやっていました。
少しお話を聞くことができました。
震災当日、そこのガソリンスタンドはガソリンが満タンにあったために無事だったんです。
少し減っていたりするとそこに水が入り、ほとんどのガソリンスタンドは営業できなかったそうです。
震災当日から緊急車や支援物資車にガソリンを提供することができたそうです。
そのご夫婦はとっても明るくお仕事をされていました。
けれど、おうちは全て津波に流されてしまったそうです。
それでも震災当日、被災者のためにガソリンを入れ続けました。
自分も被災者なのに・・・
私はなんて声をかけたらいいかわからず・・・「がんばってください」
それしか言えなかったです。
でも「ありがというございます!」って元気よく言ってくださいました。
仮設のコンビニ。
こういったコンビニがたくさんありました。
コンビニが営業してくれることによって、どれだけ安心感があるだろうか・・・。
自分にも置き換えてみて考えました。
働いている方ももしかしたら被災された方なのかもしれません。
でも元気に働いていてとっても勇気づけられました。
コンビニ近くの堤防に立って山の方を撮ってみました。
ここには家が並んでいたようです。
家の土台がそのまま残されており、ここにもいくつかの花束が置いてありました。
少し車を走らせて、仮設の道の駅に立ち寄りました。
海岸近くにありますので被害は大きかったのでしょう・・・。
以前の道の駅がそのままの状態でありました。
もしかしたらこのままここを修復して使っていくのかな???
ここで、お土産をたくさん買わせていただきました。
次の日、宮城県の海岸線も走ってこれ以上の被害の大きさに言葉も失う私たちでした。
けれど私はしっかりと自分の目で見ることが出来てよかったです。
津波は本当に恐ろしい。
一瞬にして人の命、生活を奪ってしまう。
そして人間は強い。
人間を救うのは人間だ。
この言葉通り、皆が協力して復興していかなければいけないと、改めて思いました。
さてさて・・・次は明るくランチのブログを書きます。
つづく。。。