現行の選挙制度によって、得票率24%でも、安倍・自民党は日本を牛耳っています。
歴史わい曲によって、隣国との関係を悪化させて、
また、日本を戦争する国にしようとしています。
安倍首相は、批判に対して、「レッテル貼り」と抗議したようですが、
なぜレッテルを貼られるのかについては、自問自答していないようです。
例えば、安倍首相・自民党は、朝鮮出身の人々が日本において強制的に労働に従事させられたことについて、
『戦時中に国民徴用令によって行われた朝鮮半島出身者の徴用が国際法上の強制労働には当たらない』
といった考えのようです。
産経の記事
昨日、シュピーゲル・オンラインの記事をご紹介しましたが、
自分の意志に反して、暴力によって働かされ、逃げることを妨害され、
過酷な状況に置かれる。
これが、強制労働以外の何ものでしょうか。
だから、歴史修正主義者と呼ばれるのです。
歴史をわい曲して、後ろ向きの、みみっちい論争を繰り広げる日本政府の姿は、
こっけいです。
一人芝居で滑稽な姿をさらすだけならばおかしいで済むことも、日本という、過去に侵略戦争を犯した国が組織ぐるみ(首相、与党、省庁、一部メディア)で歴史をわい曲し、同時に戦争法案をゴリ押しする。
これは、おかしいでは済まされないことです。
★★★
また、選挙制度や安倍首相だけの問題ではなく、日本の市民社会全体の問題でもあります。
安倍を批判して、史実を伝えようとすると、他のメディアや政治家からやっつけられる。
ほんの小さな誤り(朝日の慰安婦報道)を大々的に騒ぎ立て、徹底的に叩き、村八分のような扱いをする一部政治家やメディア(産経、読売、NHK)。
サザンが安倍に対して批判的な歌を歌えば、批判的に騒ぎ立てるメディア。
「美味しんぼ」の鼻血についても、異様なくらい、メディアが過熱して、それも、原発や放射能による被害を取沙汰にするのではなく、それを封じ込める方向に、メディアが一緒になって動く。
戦前の翼賛体制とあまり変わらないようです。
嫌韓本を書く人、出版する出版局、嫌韓コーナーを設ける書店、買う人々。
ネットに溢れる悪意に満ちた差別的な言論や、路上で堂々と行われるヘイト・デモ。
異様な、鬱屈とした雰囲気が、日本を取り巻いているようです。
でも、これは、「昔は良かった」的に今日の世代を嘆くのではなく、逆に、明治維新や戦前からの社会的構造がずっと続いてきて今日にいたっているのだと思います。
こんな雰囲気の中で、絶望感や虚無にとらわれてしまっている人は、少なくないはずです。
そんな中、絶望感に効くのは、自分に何ができるか、何がしたいか、少しずつ考えることかもしれません。
自民党や官僚は日本を私物化して、市民の血税を湯水のように使い、いろいろと甘い汁を吸ってきたようですが、政治家や官僚のために市民があるのでなく、市民のために、政治家や官僚がいるのです。市民とは、当然ながら、民族マイノリティや弱小市民をも含みます。
それが、民主主義です。
横暴な政治家や官僚に対し、市民がもっと怒って良いのです。
原発、民族差別、米軍基地、格差、年金、少子化、女性・子どもの貧困、公債、外交…
いろいろなテーマについて、私たち市民はいろいろなかたちで触れることができます。
得票率24%で自民党が議席の4分の3を得てしまったことは大変なことですし、
それは、選挙制度を変えることが難しいであろうことをも意味します。
ですが、メディアと市民が一緒になって、試行錯誤してみれば、小さくても、何かが社会で変わるはずです。
そして、小さな変化が、大きな変化につながるかもしれません。
主婦による、憲法9条・日本国民のノーベル平和賞への提案、全国各地で行われている戦争反対デモ、数多くの地方議会の戦争法案に反対する議決、言論者による、翼賛体制に反対する動き、ヘイト本に対抗する書店の動き、ヘイト・スピーチを制限するための動き、報道の自由の弾圧に対抗するメディア、憲法学者による戦争法案の批判、歴史学者による、歴史わい曲に対する声明、…
日本でも、勇気、良識と良心を持つ市民がいろいろな場面で行動を起こしています。
あきらめずに何かをしてみれば、成功するかもしれないけれど、
あきらめてしまっては、元も子もありません。
あきらめずに、じんわりと、意思表示していきましょう。
「今こそ 大西巨人 絶望と虚無に効く、日本文学の金字塔」(朝日デジタルの記事)