差別というものは、時と場所を選ばず起こります。
たとえば、いろんな人が集まって、わきあいあいとボード・ゲームをする会に参加していますが、残念ながら、そこでも人種差別に遭いました。差別に遭うのは嫌なことですが、それでも後々から差別者を笑える部分が少しでもあれば、ちょっとは気が晴れますが、まず差別に遭うということは、遭う側にとっては、笑えず、顔の表情が凍り付くような体験です。
(それとは別に、ドイツには優れたボード・ゲームがたくさんあります。とてもおススメですので、機会があれば、ぜひ試してみてください。)
4人(白人3人、アジア人私一人)でゲームをしていたときのことです。そのゲームとは、プレーヤーがそれぞれ探検隊をマヤ文明が栄えたジャングルに送り込んで、お宝やピラミッドを発掘して点数を稼いて、お互いに宝やピラミッドを横取りできるという、正に植民地主義や資本主義を再現するようなゲームでした。
ティカル
というゲームです。
人によっては、「こんな、植民地主義や資本主義を美化するようなゲームは最悪だ!」と断固として抗議する人もいるかもしれませんが、私にはそこまでするほどの問題意識は備わっておらず、結構楽しみました。
ビギナーズラックのおかげか、結構たくさん点数を稼ぎましたが、途中で、一生懸命自分のチームが発掘したピラミッドを、他のプレーヤーに横取りされて、ちょっと痛手を受けました。そこで、私の番が回ってきて、早速マネして別のプレーヤーのピラミッドを横取りしました。
ところが、私にピラミッドを横取りされた30歳の青年は、あまりに怒って自分を見失ってしまったようです。
彼はまず、「昔、ドイツと日本は協力し合ったことがあって、今それを感じる」と、ナチス時代の日本の天皇ファシズムを引き合いに出しましたが、私はそれを無視しました。なぜなら彼はドイツ人なので、日本人とは言わば同じ穴のムジナ、そして、私は天皇ファシズムに対して批判的でありながらも、このゲームのこの展開と、天皇ファシズムとは何の関連性も無かったので、そんなこと言われても、痛くもかゆくもありません。
さらに、彼は、別のプレーヤーに対して、「このピラミッドは、誰が発掘したっていうんだよ。俺だろ!?」と聞こえよがしに文句を吐きました。
それも、私は無視しました。多分、私が何を言っても、彼は逆上する一方だろうと思ったからです。
そして、私が無視したからか、彼は、とうとう最後の切り札、人種差別という反則に出たのです。
向いに座っている私にではなく、隣に座っている参加者に、
「おれって、攻撃的になると、こうやって目が細くなるんだよね。(両目を横にひっぱる)そう、あの子(私のこと)も、目が細いから攻撃的なんじゃない。」と、おもしろおかしく言いました。
私が即座にそれが人種差別であることを指摘すると、モンダイの青年は、言い逃れしました。
-人種差別ではない。私が彼のピラミッドを奪ったことこそファシズムである。人種差別するつもりはない。
目が細いのは、事実ではないか。-
いいや。それは、人種差別だ。白人が自分の目を吊り上げて、他の人種を、目の形だけに縮小して、
バカにする。差別を意図しなくても、事実上、差別的表現をしたことには変わらない。私は、私の目について差別されることは嫌だ。
このやりとりの間、他の二人の参加者は黙って何も言いませんでした。
人種差別とはビンタを食らうようなものですが、周りの人が見て見ぬふりをするのも、同じく嘆かわしいことです。みんな、30そこいらのいい大人なのに!学級いじめと同じですね。
とても胸糞が悪くなりましたが、最後までプレーして、結局勝ちました♪
それでも、吊り目のジェスチャーの件で、私は気分を非常に害し、腹を立てて、哀しくなりました。
差別した青年の狙い通りになった訳です。
差別した青年は、とてもガキくさいふるまいをさらしました。
負け犬の遠吠えにもならないほど、ダサくて恥ずかしい負け方をしたのです。
結構滑稽です。実は彼は、中国語が堪能で、中国、台湾、シンガポールなどに長期滞在したことがあるのです。それなのに、アジア人を侮辱することに、良心の呵責を感じなかったようです。
なので、やっぱりあまり笑えません。
その青年自身は滑稽でも、私をその獰猛性によって斬りつけたことには変わらないからです。
酷いことをされてからも笑う必要はありません。
日本では、苦しいときでも笑うよう教育されるような気がしますが、
そんなことしなくていい。
怒るときは怒っていいのです。
無理して笑うと、顔が引きつりますし、自分にウソをつくのは、自分を裏切ることになります。
怒りを飲み込んでしまうと、誰か、自分より弱い立場の人に八つ当たりしてしまう恐れがあります。
なので、怒りは、その怒りの原因となった人に、ぶつけましょう。
その後、彼は私に謝りましたが、私は許せませんでした。
彼はいきり立って、私を傷つけるために、わざと差別的な行為に出たのです。
それを後から謝ったからといってすぐに許せる訳がありません。
謝るなら、どうして最初からあんなことするの?
個人ベースの差別でこういった反応なので、国家単位で他国に侵略して蛮行を繰り広げた日本政府は、まだきちんと謝っていないのですが、例えきちんと謝ったとしても、すぐ許してはもらえないのは当然です。
人種差別は、世界共通のメカニズムみたいですね。
ムシャクシャしたり、気に入らないことがあれば、人を見下したり、否定する。
人種差別とは、マジョリティの人種にとって、自分たちの気分を良くする即効薬なのかもしれません。
だって、いつだってどこだって、自分より劣っている人を特定して、その人をバカにして、こき下ろして、
自分はその人より優れていると錯覚して、自分の劣等感を麻痺させることができるから。
劣等感が強い人ほど、人種差別や民族差別は、自分の劣等感から目をそらす、便利なツールではないでしょうか。ほかに自分の問題を克服する知恵や能力が無い人ほど、分かりやすい差別に走るのかもしれませんね。
差別される側としてはいい迷惑ですし、いかなる差別にも甘んじるいわれはこれっぽっちもありません。
大体、人種、民族や目の形、肌の色で人の優劣を決めることなど、恣意的で何の根拠も無いからです。
私は18年間ドイツで暮らしており、人種差別にも多少は慣れてきました。
まだまだ傷つきますが、多感な10代に体験した差別が残した傷とは比べものになりません。
これからも、身の周りで起きる差別に、ひとつひとつ、そのときの心身のコンディションに合わせて、立ち上がっていきます!