さて、前回の謎解きです。
自分が思い描く「幸せな人々」の姿や行動…。
自分の胸に手を当てて、以下の質問に答えてください。
そこに、黒人はいましたか。
中東系の人々、東南アジアの人々、ラテン系の人々、または別の民族の人はいましたか。
車椅子の人はいましたか。盲目の人はいましたか。
その他の身体障がい者はいましたか。
知的障がい者はいましたか。
老人はいましたか。
同性愛者のカップルはいましたか。性同一性障害の人はいましたか。
ホームレスの人々はいましたか。
太っている人はいましたか。
小人症の人はいましたか。
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差別や偏見に関するワークショップの冒頭でやった練習です。
普段、自分が何を社会の基準としているかが分かります。
目からウロコ、というか、自分の奥底にある本心を暴かれた気がして、「しまった!」と思いました。
私は、まずはお気に入りの韓国ドラマ「がんばれ!Mr.キム」の主人公の男性を思い浮かべて、そして、ワークショップの他の参加者を思い浮かべようとしました。
が、黒人や中東系またはその他の民族や人種は、思い浮かべませんでした。
そして、身体障がい者も知的障がい者も、老人も、太っている人も、小人症の人も、ホームレスの人々も、私の空想の世界には登場しませんでした。
私が思い描く「普通」の基準や、「円満な社会生活」とは、実際に社会で生活する人々の限られた一部しか含まず、その枠に当てはまらないとされる人々は、見落としてしまいます。誰かを見落とすと、その人の気持ちに対して鈍感になってしまい、その人が傷つくことを、平気でやってしまったり、言ってしまう恐れがあります。または、サポートを必要とする人々(障がい者など)のニーズを無視してしまう恐れがあります。
無意識に自分が、「この人は普通」、「この人は、普通じゃない」と区別してしまうことにより、頭の中で境界線ができてしまい、それによって、偏見や差別につながりやすくなります。
また、世の中は、意図的にいろんな観点によって強者と弱者を創り出す仕組みになっていると思います。それが良いと言いたいのではなく、それが今の社会の状態だと言いたいのです。
差別とは、人種差別や民族差別だけでなく、身体障がい、知的障がい、高齢者、性的マイノリティ、貧困、学歴など、様々な分野に関して起こります。
主流のメディア(マスコミ、宣伝、教育の現場等)で謳われる「普通」=マジョリティに属するための条件や理想、それは、
心身ともに「健常」であること、異性愛者であること、若々しくて、体が痩せていること、背丈がある程度あること、筋肉質であること、肌の色が白いこと、目が大きいこと、白人のルックスに近いこと、大卒者であること、職に就いていること、住居があること、などなどではないでしょうか。
そして、そうではない人に対しては、様々な偏見があり、偏見が差別へとつながるのではないでしょうか。
自分のものの見方が偏っていることに気づくだけで、いろんな人に一歩近づける感じがします。
もちろん、今日明日で全ての人々に対する偏見をなくすことはできませんが、自分の見方も偏っていると分かっているのと分かっていないのでは、マジョリティによって除け者にされがちな人々に対する考え方も異なります。
みなさんは、いかがでしょうか。