自民党は、「明治日本の産業革命遺産」で当時強制的に働かされた朝鮮出身の労働者のことを「徴用工」と見なし、強制労働ではなかったという見解を示しているようです。読売はそのような見解を全く批判することなく、そのまま垂れ流しています。
読売の記事
世界遺産登録に関して、ドイツの有力紙、シュピーゲルがオンライン記事を公開しました。
以下、ざっとご紹介します。
「日本VS.韓国 世界遺産計画を巡る争い/韓国人男性、憤慨する/
『海に飛び込んで溺れ死のうと思った』
」
強制労働者はひどい苦しみのもとハシマで働かされた。
苦しみの現場となった場所は、世界遺産として登録されようとしている。
そこで働かされた人々にとっては、想像を絶することだ。
ス・ジョンウさんは、1942年、14才のときに、高いコンクリートの壁と海に囲まれたハシマを初めて見て、とっさにすべての希望を失った。見かけがすでに巨大な監獄のようであり、まさに監獄そのものだった。
1910年に日本が朝鮮を占領して以来、朝鮮人の強制労働者が日本で働かされた。
ス・ジョンウさんが1983年に韓国の人権団体に語った体験談によると、ハシマ到着後、スさんは小さい部屋に7人の同胞者と住まわされた。翌朝、炭鉱での厳しい労働が始まった。
日本人の監視が見張っていて、なかには、日本刀を持っている者もいた。
生きてはハシマを去ることができないという結論に至った。
「ただ海に飛び込んで、溺れ死のうと何度思ったことか」
実際に、そうする人も何人もいた。
隣のタカシマでは、当時15才のソン・ヨンアムさんが炭鉱で強制労働に従事させられた。
シュピーゲル・オンラインとのインタビューで、87才のソンさんは次のように語った。
「タカシマでの日本人のふるまいは、
想像を絶するほど酷かった。一日のノルマを果たさなければ、すぐ殴られた。休憩などなかった。
奴隷のように扱われた。」
よりによって、このハシマとタカシマの炭鉱が、日本の意志によって、ユネスコ世界遺産にされようとしている。(…)
韓国政府は、指名された設備のうち、7つにおいて数万人の強制労働者が動員されたと批判している。
(・・・)
日本が使用する「徴用工」という表現は、タカシマで働かされた推定4万人(韓国政府)の強制労働者のうちの一人のソンさんには、冷笑的に聞こえる。
当時、ほとんどの時間を地下1キロメートルで過ごすことを強要された15か月間を回想する際、ソンさんは、「絶望」という言葉を一番頻繁に使った。
「私は当時まだ若くて空腹だったのに、普段は大人がするような仕事をさせられた。」
バッテリー付のヘルメットだけでも4キロくらいの重さで、被っていられなかった。
寝場所は十何人もの労働者と分けた。蚊やダニであふれかえっていた。
食事は非常にまずかった。
1945年、ソンさんは韓国へ帰ることができた。
2年間の強制労働に対して、15ウォンが支払われた。米2袋の対価だった。
日本からも、タカシマの当時の所有者であった三菱からも、謝罪はなかった。
ソンさんは、長い間、タカシマのことを忘れようとしたが、よく思い出してしまった。
日本の申請は、古い傷を切り開き、老人の心をかき乱す。
「なぜそんなことをする?」
再度として強力な隣人が、ソンさんとソンさんの同胞者の何かを奪う気がしてならない。
「我々の労働や我々の苦しみといった犠牲に対する敬意はどこにあるのか?」
★★★
日本の産業大国としての「発展」は、数多くの犠牲の上に成り立ってきました。
一人一人の犠牲や痛みに真摯に向き合う姿勢が無いと、いくら世界遺産を登録して、オリンピックを招致して、自己の文化を「クール・ジャパン」、「美しい日本」などと称賛しても、実像がついてきません。
世界からは、白い目で見られるだけです。
実像は、明治日本の産業革命だけをとっても、血まみれです。
何万人もの強制労働者の血、涙、汗と生命を奪った明治日本の産業革命遺産は、負の遺産です。