子どもに「愛国心」を植え付けるための「道徳」が日本の学校教育において特別教科になるようです。
3月5日(木)必着で、誰でも文科省に意見を提出することができます。
http://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNA
私は次の文章を送りました。
「ドイツに住んでいる日本人です。
日本の学校において、道徳を特別な教科として位置付けることに反対です。
小中学校学習指導要領案は、「道徳教育は,教育基本法及び学校教育法に定められた教育の根本精神に基づき」、とりわけ愛国心を育むことを趣旨とすると定めています。
愛国心を学校で教科として教えて、学校が各生徒の「愛国心」を審査し成績をつけることはあってはなりません。
日本国憲法は、その19条に、思想および良心の自由を保障しています。
学校が「愛国心」を子どもに教えて、子どもにその教えに従わせることは、思想および良心の自由の侵害です。
また、安倍首相をはじめとして日本政府は日本を戦争できる国にしようとしています。秘密保護法によって情報を統制して、集団的自衛権行使のために憲法を変える段取りを整え、政権批判を自粛させるような社会的ムードを作り上げています。もはや戦後ではなく、また近い未来に戦争が起こるであろう「戦前」になったようです。
学校で道徳として「愛国心」を教えることは、戦前の状況、第2次世界大戦前の状態に近づくことを意味しています。
道徳自体は悪いものではありませんが、今の教育基本法に基づく道徳は、「愛国心」といった、道徳とは別のものを意味します。道徳は「愛国心」とは関係ありません。道徳を「愛国心」と定義することは、特定の思想です。
道徳は、特定の価値観や思想を強要するためのものであってはなりません。
学校で教える道徳の趣旨として、学習指導要領案には、ポジティヴな観点が羅列されています(人間尊重、生命に対する畏敬、豊かな心、平和、民主主義、個性豊かな文化、他国の尊重、公共の精神、国際社会の平和云々)。
しかしながら、「愛国心」を子どもに押し付けることは、これらの価値に相反します。
「愛国心」の強要は、人間を尊重することの正反対です。人間ではなく、国家を尊重することを意味します。
「愛国心」の強要は、戦争や他国との紛争につながる恐れがあり、生命に対する畏敬ではなく、生命を奪うことにつながる恐れがあります。
「愛国心」の強要は、個性豊かな文化ではなく、逆に、戦前のような翼賛体制を作ることになります。
「愛国心」の強要は、他国との紛争を煽り、平和や民主主義とは相容れません。
「愛国心」の強要は、豊かな心を育むのではなく、とても偏狭な考え方を助長し、多民族や他国への偏見や憎しみを煽ります。
「愛国心」によって国や民族に「誇り」を持つことは、実社会の問題から目をそらし、マイノリティーや他国を敵視することにつながりかねません。
日本には、たくさんの問題が山積しています。格差、貧困、非正規雇用、外国人研修生の搾取、公債の膨張、高齢化、地方過疎化、少子化、原発、歴史修正主義、アジア諸国との軋轢、領土問題…。
これらの具体的な問題は、「愛国心」といったあやふやな観念では解決できません。
逆に、「愛国心」を焚き付けると、これらの問題を無視して(「日本は美しい国だから、問題なんてあるはずがない!」)、不満や不安を他国や多民族のせいにして、紛争を引き起こすことになります。
国単位や民族単位で考えることを止めること、「愛国心」を放棄することが、平和への第一歩です。
本当に平和な社会を構築したいのであれば、学校できちんと史実を教えなくてはなりません。歴史から学ばない者は、歴史を繰り返すとチャーチルは言いましたが、全くその通りです。
道徳を教えるのであれば、日本が戦前にしたことについてきちんと学校で教えて、そのことを道徳の観点から評価できるよう、子どもたちを指導してください。
「愛国心」は、新たな戦争を引き起こすだけです。
それより、日本の問題をきちんと解決する方法を手本で示してください。
世界では環境破壊が進み、資源にも限りがあります。戦争は間違っています。
世界が必要としているものは、「愛国心」などではなく、歴史をきちんと見つめて、悪いことは繰り返さないこと。国境や民族の壁を越えて、資源を分かち合い、協力し合うことです。
もし日本がまた戦争を起こすことになれば、それは、安倍首相だけでなく、日本政府、有権者、マスコミ、有識者、政治家、そして、官僚や役人一人一人の責任です。
一人一人、日本の行方を決める責任を負っています。それが民主主義です。
ご自分の責任について、きちんと自覚してください。」