憎しみが生まれる場所(2) | はんぐるぐるぐるのブログ

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橋の上に寝っ転がって、水が流れるのを眺めてみよう。それか、跳ねてみよう。それか、赤い長靴を履いて、泥の中を歩いてみよう。それとも、丸くなって、雨が屋根に落ちる音に聞き入ろう。人生を楽しむことは、とてもかんたんなんだ。(トーヴェ・ヤンソン、「ムーミン」より)

前回 の続きです。
もしかしたら、この記事を読んでいて、悲しくなったり、自己の悲惨な体験を思い出してしまうかもしれません。私は一回目はしんどくて、その後1年以上読むのを中断しました。ご自分の体と心の具合に注意しながら読んで、場合によっては中断していただければ幸いです。

アリス・ミラーによる第一章の小活

18世紀から20世紀の教育書の数々を引用することにより、ある姿勢を描いた。その姿勢とは、弱い子どもを見下し、迫害する、そして子どもや大人の中にある、生き生きとした部分、感情的な部分、創造的な部分を抑圧すること。この姿勢は、ファシズムだけに限らず、様々なイデオロギーに見ることができる。現在もその姿勢は人生のあらゆる分野に存在していて、私たちはそれに気付かなくなっている。一つの世代から次の世代へと、教育の名の下に渡していく。

18世紀から20世紀の教育書を読んで、その教育学について分かることとは、

大人が子どもの支配者であること、
神々のように、善悪について決定すること、
大人の怒りは、自分たち自身の葛藤から生まれること、
でも、それを子どものせいにすること、
親はいつも守られるべきであること、
子どもの活き活きとした感情は、支配者にとって脅威であること、
子どもの意思をなるべく早期に奪わなくてはならないこと、
子どもに何が起きているか気付かせないため、そして子どもが親に反逆しないため、早い段階で意思を奪わなくてはならないこと。

子どもの活気を抑圧するために大人が使う方法とは、罠を仕掛ける、嘘をつく、悪知恵を働かせる、うやむやにする、操作する、怖がらせる、愛情を与えない、隔離する、疑う、屈辱を与える、見下す、馬鹿にする、恥をかかせる、暴力、拷問。

そして、子どもに、最初から間違った情報や意見を植え付ける。例えば、

愛は義務感によって生まれること、
憎しみを禁ずることによって、憎しみを抹消できること、
親は親であるがために、尊敬されるべきであること、
子どもは子どもであるがために、尊敬されないべきであること、
服従によって強くなれること、
高い自尊心が有害であること、
低い自尊心が、他の人間へのやさしさにつながること、
細やかな愛情、親密さやスキンシップが有害であること、
子どもの欲求を満たすことが悪いこと、
厳しさと冷たさが、人生の準備として役立つこと、
演じただけの感謝の気持ちが、正直に恩知らずであることより悪いこと、
行動の方が、ありのままであることより重要であること、
親や神は侮辱を受けることを耐えられないこと、
体が汚くて、気持ち悪い物であること、
激情が悪いこと、
親が欲求を持たない、潔白な存在であること、
親がいつも正しいこと。

こういった方法によって、子どもの心の奥深くに、親に対して寛容でなくてはならない、親を保護しなくてはならないという掟が植え付けられる。

この教育法が「成功」した場合、子どもたちはどうなるか。大人に殴られ、屈辱を受け、嘘をつかれ、裏切られた子どもの中で引き起こされる激怒はどこに行くのか。その怒りは無くならず、時とともに、自分や他人に対する憎しみへと変化する。そして、その憎しみは、すでに大人が容認して実行している、大人の世界に順応している方法で、放出される。

服従を叩き込まれた子どもは、大きくなって自分の子ども時代を美化する傾向にあった。時代の流れとともに、子ども時代を美化・理想化することなく、そのまま見つめる学者も出てきた。Lloyd deMause<以下「デモス」>がその一例。彼の本<原題「The history of childhood」、1974、「子ども期の歴史」>を読んで、その中に登場する子どもたちが後に大人になったと理解できる者は、今の時代に残虐行為が行われることついて驚かないであろう。デモスが描く真実は悲しく重苦しいが、その一方で、もし権力と権力の正当化に使われている暗黙のルールを見破ることができれば、それを打破することができるので、望みも生まれる。とにかく、幼児期の危機的な状況を理解しなければ、世代間で引き継がれてゆく教育イデオロギーを完全に理解することは難しい。

今日においては、昔の価値観(服従、強制、厳しさ、感情の欠如)は、前ほど重要ではなくなった。<日本ではどうだろうか。>

しかし、新しい理想を実現する手段は、その親が、自分が子どもの時どんな扱いを受けて、そのときの感情や苦難を認められるか否かによって、影響される。その親が、自分の子ども時代の苦難を抑圧する場合、自分の子どもと共感することは難しいであろう。

(つづく)