復興への第一歩 | つれづれ写真日誌

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自宅周辺の日常の些細なできごとを中心に写真を添えて。

私の高校時代、反原発教師に囲まれた授業ばかりだった。今にして思えば物騒な教師陣だったが、めちゃ面白かった。受験にはあまり役立たなかったが。放射能と放射線、そして放射性物質の違いを「倫社」で学んだ。被ばくと汚染の違いも。 福島原発報道では かなりのマスコミが この辺の混乱が見てとれた。説明する側も どうも要領を得ていなかった。へたくそな説明。その中でNHKの水野倫之解説委員は評価が高い。分かりやすいのが一番。危ないことは危ないという中から 安心感も同時に育つ。
高校では ステレオタイプに 原爆と反原発が重なっている部分も多かった。
そのためか 社会人になっても原発には懐疑的だった。が原発電気を捨てることができない生活の中にいる。気分は 不愉快だ。想定を超えるという連呼。江戸時代にこのクラスの地震記録はあるのに。
今回の事故に対し 私自身も 私の友人に対しても 決めた事がある。
「今は アジテーションするのは止めよう。」あおらないことだ。付和雷同も避けることだ。
ただ 被害者に寄り添うことだ。
311は日本の歴史を激変させた。私たちは 戦後成長社会という神話に完全に別れを告げたのだ。
被災地はもちろんだが、日本全体が 萎縮のマイナススパイラルに入った。
放射線が少し出たというだけで(出ては行けないことは重々知っている)流通は自主規制する。そして物も金も動かなくなる。宿泊拒否する無知さ加減まで。自分は被災者 被災地と別な所にいると思い込んでいる人が多すぎる。私たちは 皆当事者なのだ。 

叔父が 仙台で亡くなっていた。磐城の友人が過労で倒れた。
送れるものを宅配便で送った。情報も。
今できること これからできること やらなければならないことを 整理している。
この復興には 長い時間がかかる。5年 いや10年かもしれない。長丁場であることは間違いない。

つれづれ写真と共に