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ありがとうございますラブラブ



思えば、翻訳とは長い付き合い。


子どものころ なんとなく「ほんやくか」って

かっこいいなぁ、とあこがれていました。


もともと文章を書くのが好きで、

それが仕事にできたらいいなと思っていて、

でも大学ではたまたま英語を専攻したので

「翻訳家」という選択肢が わりと自然にあらわれた感じです。


そして、翻訳の巨匠、別宮先生に翻訳を学ぶことができ、

先生に勧められてこの道に入りました。


(が、いったん日経にーー翻訳はとにかく経験がないと歯が立たない、

まずは社会を知らねば、と思ったのです)


先生にはじめてのお仕事をいただいたのは28歳。

日経を辞めてまもなくでした。


「新聞社を辞めます」と言った私に、

先生は笑って

「ほらね、日経なんてやめると思ったよ。

あなたには翻訳が向いているし、翻訳をやってほしい」と

おっしゃいました。


そして、すぐに仕事をくださったのです。

最初は、数名での共訳でした。


この仕事の後、編集者さんから

「今度は、先生とスズキさんで翻訳を出しませんか」

とお声がけいただきました。


私が訳して、先生が監修というスタイルです。

本の表紙に先生と私の名前が並ぶ!


感激のデビューは『ハプスブルク帝国衰亡史』。

じつは歴史ものは苦手だったのですが、がんばりました!(^^)!


そしていよいよ、次は私一人の名前で訳書を出させていただきました。


恵まれたスタートだと言っていいと思います。


慶應の大学院に進み、女子大勤務を経て、

フリーの翻訳家としてやっていく覚悟を決めてからは

毎日必死でした。

来る日も来る日も締め切りと格闘し、

朝まだきから夜中すぎまで、仕事に追われ・・。


それだけ仕事があったというのは、ほんとうに

幸運中の幸運なんですけれど。


仕事のし過ぎで体を壊し、

同時にプライベートの変化なども重なり

翻訳から距離を置いた時期がありました。



「それ」じゃない自分を探したりもしました。

翻訳家の看板が重くて、怖くなって、

もんもんとしてました。

でもーー

気がつけば、ここに戻ってきました。

思えば四半世紀もの付き合いです。



おかえり、と翻訳の神様は笑っていうでしょう。

いろいろ勉強してきたんだね、って。


そう、

人生でいろいろ経験してきたこと、

いま学んでいることが

翻訳であれば生かせます。


翻訳に、決して「余計なこと」はないんです。


それだけ著者の思い、主人公の気持に近づくことができますから、



翻訳家にとって、経験や回り道は宝の山。

涙を流した日、失意の日も必ずプラスになります。


自分が捨てたいと思うことを

丁寧に拾い上げて、大事そうに愛でてくださる翻訳の神様。


あなたも、ぜひ会いにきてください。