大学院生なったあと。
はじめ、学者になるつもりはありませんでした。
学者というのは、
勉強がすごく好きで、
とんでもなく頭がよくて、
世間から隔絶して研究に身をささげるような人が
なるものだと思っていたのです。
私はぜんぜんそうじゃないし・・・![]()
でも、修士論文を書くころから
論文を書くことが楽しくなってきました。
私の場合、論文のテーマが
「自分自身のなりたち」、
「自分がどんなふうに育ったか」を知りたい、という
欲求に基づいたものだったので、
論文を書くことが
そのまま「自分の芯を見つめる」ことに
つながります。
スリリングで面白くて、
ひとつ新しいトピックで論文を書くごとに
一枚ベールをはぐような、
そんなドキドキ感がありました。
いっぽう、博士課程に入ったころから
教授が出版社、編集者さんを紹介してくださって
翻訳の仕事が入り始めました。
日本アメリカ文学会の幹事役を通して
ほかの大学の先生方を存じ上げる機会も増え、
就職を希望する大学院生として
恵まれた立場にいたと思います。
その後、めでたく某お嬢様大学の専任が決まり、
一般的にいえば、これで「あがり」![]()
あとは講師
准教授
教授 の道を進むのみ![]()
教員になる前は正直言って
「教員」という仕事に偏見がありました。
「先生」なんていわれる仕事は
ろくなもんじゃない、と![]()
でも・・・じっさい教師生活が始まってみれば、
予想をくつがえす面白さ![]()
英文法を教えるのはイマイチ苦手でしたが
小説や詩を読みながら
学生に「文学を読む楽しさ」を伝え、
「人生の素晴らしさ」を語るのは喜びでした。
英語を教える、というだけでなく
学生一人一人のもつ可能性に気づいてほしい、
社会に歩いていく勇気をつかんでほしい、
私はいつもそう思っていました。
学生の反応も変化して、
毎回、イキイキとはずむような感想を
寄せてくれます。
興味のない学生が目をきらきらさせる瞬間、
わからなかった学生が「あっ!」と顔を上げる瞬間、
それを目の当たりにして、
教師という仕事の喜びを日々満喫していました。
私の授業をぜんぶ取って
ハードに勉強する学生(通称「としみっこ」)も登場。
育てるって楽しい![]()
自分が彼女たちの支えになれるって、素晴らしい![]()
それまでずっと、
「人の役に立ちたい」と思っていたものの
何をしたらいいのかわからずにいましたが、
ここで直感
しました。
若い人に教えることで、役に立てる。
自分がやってきたこと、経験したこと(失敗も含めて)を
若い人に伝える、という仕事は
きっと私に向いている![]()
だってこんなに楽しいんだから。
このまま大学に残る、という選択肢が見えてきました。
――が、4年で、転機が訪れました。
人間関係もありますが、それは小さな原因。
辞職を決めたのはもっと根本的な理由でした。
(ほかの大学に移る気はなかったので、
この辞表は「大学教員」そのものを辞めるということでした)
・・・これでいいの?
・・・私がやりたかった翻訳って、これだったの?