子どもの頃に本好きなのはたいへん望ましいこと。
異論の余地がありません。
・・・ですが、経験からいうと、
そこには大きな落とし穴があると思います。
落とし穴?
というのは――
読書好きな子であれば、
小学校の頃に芥川は十分読めますし、
漱石や川端だって作品によっては読めるでしょう。
えらそうなことをいいますが、
小説家志望だった私は、
日本の女性作家のもの(樋口一葉、佐多稲子、
林芙美子、有吉佐和子、岡本かの子、幸田文・・・)に
とくに興味がありましたが、
それに加えて中学・高校1年生くらいで
鷗外、三島、谷崎、志賀、
シェークスピア、ディケンズ、ハーディ、ブロンテ、
スタンダール、トルストイ、ドストエフスキーといった具合で
翻訳で読めるものはだいたい読んでいました。
(私の場合、本を読むくらいしか楽しみがなかったので
)
子どもの頃にこれだけ「名作」を読んでいたら
その後は楽勝
と思うわけですが、
でも、そこが落とし穴でした。
まだ子どものころ、
人間心理の機微や社会のしくみ、
恋愛も善悪も悩みや葛藤も知らないころに
字面だけ追っても、
作品の本質、ほんとうに大事な部分は理解できません。
でも、本人はわかったつもり。
じつはこれがクセモノなのです。
わかったつもりで
とりあえず「筋」はのみこめているから、
自分で「この作品は読了」と思ってしまう。
よほどの機会がないと
なかなか読み返すことがありません。
浅いところを片手でちゃちゃっとかきまわしたくらいで
水の深さすら理解できていないというのに、
「水に入った」つもりになってそれっきり。
なんてもったいない!
ほんとうの「よさ」はもっとずっと奥、
その先にあったのに・・
大学生~社会人になって読んではじめて
著者の悩み、書きたかったことが理解できた、
という作品のなんと多いことか。
もうひとつ、誤解をおそれずにいうと、
中学生のころに
これら「人生の文学」を読んでしまったことで
小説によって、
「友情とは」「恋愛とは」など
生きるうえでの重要なテーマについて
だいたいの概念が
できあがってしまう傾向があると思います。
私の場合はそれが顕著で、
「友情ってこういうもの」
「恋愛ってこういうもの」
「結婚ってこういうもの」
「親子ってこういうもの」
「女性の生き方ってこういうもの」という具合に
実体験以前に、
かなりのすりこみがありました。
おかげで
恋愛→結婚→嫁姑関係というプロセスにおいて
問題回避ができたという、いい面もありますが(笑)
でも、現実に直面する人間関係の新鮮味が薄れ、
既視感すら感じられてしまうのは、
あまり幸せなことではないような気がします。
だからといって、大学生までいわゆる「名作」に
触れないでいるのはもちろんマイナス点も
多いのですが・・・
子どもは「どのタイミングで」「どの本を」読むのがいいか、
実はとっても難しいことかもしれません。
あ、ちなみに、
私が子どもの頃出会って最も大きな影響を受けたのは
「紫式部」の伝記でした。
それがきっかけで
源氏物語の少年少女むけ現代語訳を読み、
紫式部にあこがれ、
中学に入った時には
「大学で源氏物語の研究をしたい」と思っていました。
がむしゃらに原文(注釈つき)を読み、
与謝野晶子訳、谷崎訳・・・
さらには当時の有職故実に関する本を集め、
たいへんなエネルギーでのめりこみました。
いまも源氏は私にとっての原点です。
のめりこめるものと出会えたというのは、最高の幸運だと思います。