ハマウのブログ

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 ~報われた本物の努力~  涙ノ訳と歓声の向こう側

 記憶に残る夏 

高校女子ソフトボール中日本大会二回戦。最終回、ワンアウト4点ビハインド。それまでの空気を一変する出来事が起こった。場内アナウンスが代打アオイを告げた。約一年ぶりに聞くアナウンスの響きにベンチは勿論、応援団も一斉に割れんばかりの大歓声!保護者の中には既に涙ぐむ人もいた。そして、涙声の混ざった声援

「アオイー頑張れー!」「おもいっきりー」「いけーアオイー」

彼女にみんなの力を届けたくて・・・・・・その訳
彼女は親譲りの持ち前の明るさと、とびっきりの笑顔でチームのムードメーカーだった。中学の時は娘とは別の学校の、しかも県下一の強豪校のキャプテンだった。娘に顔が似ていると言われどこか他人のような気がしなかった。そんな彼女は、活発だけでなく努力家。その甲斐あって、1年生の時からレギュラーで守備の要だった。

ところが、上級生が引退し新チームになった去年の秋、新人戦を控えた練習中にひざ十字靭帯断絶の大けがを負ってしまった。手術をし、足を動かせるまで半年。そこからリハビリをしても、5月のインターハイ県予選には到底間に合わない

アオイをもう一度、グラウンドに立たせるまで勝ち残る。 彼女は決して諦める事をせず、日々動く上半身を使いバットを振りつづけた。冬の寒い日も、別メニューを一人で黙々とこなしていた。暗くなるまで黙々と練習する姿を何度も見かけた。アオイが笑顔を絶やさず、弱音を吐かず、努力する姿に、逆にみんなが励まされ、感化されていった。それこそが本物の努力であった。

そして、迎えた運命の5月。チームは県大会で優勝こそ逃したものの、準優勝し夏の中日本大会の切符をつかんだ。何よりも、夏まで出来る歓びの方が強かった。すこしでも、このチームで長くやり続ける・・・・アオイが復帰するまでは・・・その夢が叶った。

6月の東海大会は3位になり、徐々にチームもまとまり、雰囲気も良くなってきた。笑顔が多くなってきたのは誰の目にも映っていた。残すはアオイの復帰だけ。でもまだまだ全力では走れない。1塁まで辿りつくのもやっとだった。

8月6日・・・中日本大会当日1回戦シードで2回戦から。午前中、別グラウンドで練習。
その場所に誰よりも早く現れたのはアオイの父と母。暑いグラウンドに水を撒き、笑顔でみんなを和ませる父の姿とアオイが重なる・・・・

初回、幸先よく先制したチーム。その後、何度と訪れるチャンスに追加点を得られず、反対に逆転されてしまう・・・・試合はそのまま最終回へ、得点は1対5.ワンアウトランナー無し。

選手交代を告げるアナウンスの声・・・・・・・・・代打アオイ。

ベンチ、応援団の一斉の歓声。悔いを残さぬ様に全力で、空振りでも何でもいいから・・・・・神様お願い。声は願い・・・・・・・届いて欲しい

ピッチャーの放った初球・・・・・・・・アオイ渾身のスイング!
鋭い打球はセンター前へ・・・・アオイは歯を食いしばりながら、全力では到底走れないサポーターの巻かれたままの足で、1塁へ・・・・・・
・・・・・・・セーフ。大歓声!しかも、この日のチーム一の弾丸ライナー。ナイスバッテイング!
ベース上でガッツポーズで、とびっきりの笑顔。
彼女のグラウンドでの笑顔を見たのも1年ぶりだろうか。そして、走れないアオイに代走が告げられ、ベンチへ。そのアオイを両手を広げ、泣きながら抱き寄せるチームメイト。
本物の努力が報われた瞬間だった。その後、二点を返すものの3対5でゲームセット。チームは敗れたものの、私はどこか清々しい心地よさに包まれていた。このチームがここまで来れたのはアオイが決して諦めず、腐らずやってきたからかもしれない。 試合後に、お父さんの話、「アオイは帰って家に入る前に必ず素振りをしていました。」「どんな日も欠かさず。それが、日課でした。」

あのヒットは偶然でもなんでもなく必然だった。自分を信じて、仲間を信じたからこそ生まれたヒットだった。

何よりもここまで彼女を支え頑張らせたのは、家族の愛であり、仲間の愛であった。彼女が愛に包まれてこの瞬間を迎える事が出来たのは間違いない。

努力が報われた日。そこにいた私達は涙の訳を知っていた。笑顔の訳も、歓喜の訳も知っていた。

そこには感動があり、愛があった。結果、このチームが県下で一番最後までグラウンドにいた高校生のチームだった。

神様がくれた・・・・少し遅い夏。

 ・・・・・・・・・・・宇治山田商業ソフトボール部

私はこの夏の思い出を忘れない。