本日は、某インナーアパレルメーカーの2次選考に参加し、その後そこで知り合った3人と情報交換をし、帰宅後に『日本の教育格差』を読了した。

某インナーアパレルメーカーの試験内容は、筆記テスト、適性診断、グループディスカッションであった。前2つは問題なし。グループディスカッションは今までの中で1番手ごたえのあるものであった。12名で30分のディスカッションであった。役割を立てるか、話をまとめるか、発表するか等すべてを司会者に一任するスタイルであり、私は司会者を務めた。メンバーに恵まれ、かなり司会進行はし易かった。まず、前提として今回受けている企業としての発想を共通認識とし、現状と内部の分析を行い、外部環境の分析、そこからターゲットとドメインの決定をし、そこへの具体的なアプローチとストーリーを決め、プレゼンテイタ―による発表で終了となった。意識したことは「確認」「納得性の担保」「疑問点の削除」「情報共有」「意見を引き出す」であった。どれも、会場に入る前にイメージトレーニングしていたが、メンバーに恵まれたため全く問題なく終えることができた。ディスカッション終了直後に人事部長(正式にはゼネラルマネジャー)に「やはり君はうまいな」と一言告げられた。第1に、やはりとはなんだ()。初のグループディスカッションだったので、前例がないため何を根拠にやはりと言ったのか突っ込みたかったが、素直に嬉しかったのでやめておいた。この会社は私の中では第2位の志望度である。今後も引き続き真摯に挑戦していきたい。人事部長と、ご飯に行きたいな~なんて考えているため、今度個人的に連絡してみようか模索中である。

次に、『日本の教育格差』を読んでの簡単なまとめをする。学歴を問題にする際には、①卒業学校段階の違い、②卒業学校の質やブランドの違い、③専攻科目の違いの3つの性質がある。結果の格差と機会の格差がある。例えば、普通科出身の高校生の就職は、正規社員になりにくく、就職も困難であれば、入社後の安定性も他と比べると低い。職業科の高校生は就職はしやすいが、ブルーカラーとホワイトカラーという点より、その後の昇進や昇給に困難が生じることがある。これは、技術の国日本としては問題とみなされてもよい。大学に行くか否かを決定する要因は、①本人の生まれつきの能力・学力、②家庭での教育の熱心さの程度、③本人の努力の程度、④高校や大学での学費の額、⑤奨学金制度の充実度、⑥学校での教育の質の良し悪し、⑦学校外教育の役割が考えられる。また1つの学校にフォーカスすると、努力する者を伸ばすために、そしてできない人間のモラルダウンをさけるために、特別クラスは人だけの特別か、できない人だけの特別にし、その他はまんべんなく振り分けるやり方が考えられる。筆者は、1学級の人数を減らし、教員を増加させるために公的教育支出の増加と、高校無償化政策等の家計への教育費補助を解決案として提案している。…ざっくりまとめるとこのようなものであった。今後様々な問題を考える上でのベースとして、この本を読了した経験はためになったと感じている。

最後に、軽くこれまでの生活を反省する。上京し、「人生をかけた2か月半の修行」とタイトルをうって毎日まとめてきたわけだが、本当に「人生をかけた」と言えるほどの生活をしているかというと、そうではないことに嫌悪感を抱いた。そう、楽しい、楽なのである。全然苦しんでいない。確かに、以前より成長して、苦しいことを苦しいと感じにくくなっている部分もあるが、だとすると現在のポテンシャルを出し切り、本気で成長に結び付けられてはいないということになる。これは反省しなければならない。楽しいことは良い。もっと苦しまなくてはならない。朝5時に起きることを目標としているが、実現したためしがない。これはいけない。絶対いけない。確かに睡眠は大事だ。だが、社会人は朝まで飲んでも次の日仕事なら出社時間には間に合わなければならない。当たり前である。もっと、自分に負荷をかけてもいいのではないだろうか。

3月から、おそらく内々定先でのアルバイトが始まる。それまでには、納得のいく生活スタイルを形成していたい。しなければならない。「人生をかけた修行」であることを念頭において。