土井さんが亡くなって丁度2年になるんだな…。
今年、奥さんの真理さんから年賀状が来て、喪が明けたのだと気が付いた。
僕の中ではいまだに「ハマちゃんよ、やってるかい?」という声が聞こえる。何をやっているのかというと演劇である。
僕は「どうにかやってます」と頭の中で返答する。
 土井さんは学生時代からずっと演劇をやってこられた。ガンで倒れるまで。いや、おそらく85歳で永眠されるまで闘病中でも演劇はやっていたと思う。
 そのように思うのには訳がある。
僕が早稲田小劇場から独立し、劇団春秋座を作って3年ぐらい経った時、土井さんが劇団春秋座に入れてくれないかと訪ねて来られた。
 1979年の暮れに早稲田大学の6号館屋上にあったプレハブのアトリエで公演した詩劇「冬の空」を観て、一緒にやりたくなった、僕の舞台に役者として立ってみたいということだった。
そのころ土井さんは、早稲田小劇場を僕より先に退団されており、具体的な演劇活動はされていなかった。僕は、だいぶブランクがあるし大丈夫ですか?と失礼なことを聞いた。土井さんは「ハマちゃんよ、おいら、一瞬たりとも演劇を止めていたことはないよ。」と毅然と答えられた。
 日常生活をしながら絶えず自覚的に演劇人として生きているということなんだな、そうやって生活していれば演劇をやっていることになるんだと、実はいつまで演劇をやり続けられるか内心不安に思っていた僕の方が励まされた。
 日常生活を対象化して演劇人として生きる。その生き方はあの時の土井さんから教わった。
僕の演劇人生において土井さんは水先案内人だった。いつだって土井さんの背中を見て歩いて来たように思う。
 その演劇人としての死に様も見せて貰った。
亡くなる1年前に頂いた年賀状に「とりあえず生きている現実を大事にしながら余生を送りたいと思っています。死亡通知が届くまで今年も宜しく…」と書かれてあった。
死ぬことが自然なことであり、仕方のないことだ。と受け入れておられたのだと思う。
そのような文面の年賀状を見ているうちに55年前、土井さんを迎え入れて上演した、「新作冬の空」の一場面を思い出した。
当時劇団の主要メンバーだったカンノも死んでしまったが、土井さんも死んでしまった。
その二人が、チェーホフのワーニャおじさんの一節を演じた名場面だ。その場面はなかなか秀逸で、当時アサヒグラフという雑誌に劇評が掲載された。「痴呆の極みにあるような人が一切の思い入れなく、しかし喉でテープが回っているような正確さで反復する。言葉が目の前で見事に裏切られてゆく。彼らが観客を連れ出した地点はこのような「冬の空」の下であった。それは面白かった。」(演劇評論家天野道映著)
その時カンノが、あんパンを半分に割って差し出しながら投げかけた言葉はこのようだった。
「でもしかたがないわ、いきていかなければ。おじさん生きていきましょうよ、長い果てしないその日その日を。いつ果てるとも知れない夜また夜を。生き通していきましょうね。
運命が私たちに下す試みを辛抱強く堪えていきましょう。
その時が来たら素直に死んでいきましょう。
あの世へ行ったら、どんだけ私たちがしんどかったか、どんだけ私たちが我慢をしたか、どんだけ私たちが涙を流したか、全部教えてあげましょう、仏様に。すると仏様はまあ気の毒にと思ってくださる。その時が、おじさん、ちょっとおじさん、その時こそ、あなたにも私にも明るいすばらしい、何とも言えない生活がひらけてまあ嬉しいと思わず声を上げるのよ。そして現在の不仕合せな暮らしをなつかしくほほえましく振り返って私たちほっといきがつける。わたしそう思う。」(カンノ、手に持ったあんパンを土井の足元に放る。土井、しゃがんで拾う)

カンノ「ほっと息がつけるんだわ、その時、私たちの耳には仏様のみ使いたちの声が響いて空一面無茶苦茶のダイヤモンドでいっぱいになる。そして私たちの見ている前でこの世の中の悪いものが全部、悩みも苦しみも全部、世の中に満ち広がる仏様の大きなお膝の中に飲み込まれてしまうのよ。そこでやっと私たちの生活はまるでお母様がやさしく撫でて下さるような静かなうっとりするようなほんとに楽しいものになるんだわ。
私ほんとにそう思う。むちゃくちゃそう思う。泣いてるの。もうちょっとよもうちょっとの辛抱よ。
(カンノ、残りのあんパンをかじりながら席に戻る。土井、あんパンを喰う

カンノ裕子が3年前に68歳で死ぬ時、直前までメールでやり取りした。「私はもうすぐ死ぬから、最後に土井さんに投げかけた言葉をしゃべって死にたい」とメールが来たのであの時のセリフを送信した。


あの世で、土井さんがニコニコしながらカンノに近づいて行く、カンノは両腕を大きくワイパーのように振り回して土井さんを迎えている。
ふたりとも、静かなうっとりするような本当に楽しい世界に行ったに違いない。