また逢える。

40年前のことがつい昨日のことのように思い出される。

東武練馬の風景や住んでいた家、池袋東口の公園、六つ又交差点のアトリエの様子。

演劇することが生きる意味そのものだった。演劇にとてつもない意義が隠されていて、その奥義に触れたように思えた。

そこには、いつもお前が一緒にいてくれた。

自分を捨てて空っぽになる。そうやって大自然の意思(神?)を直覚する。まさにさとりの境地に行く。

演劇はそのような体験が可能だ。そう信じてた。今も信じている。いや、信じるしかないという気分だ。

どうせ死ぬんだから、その時は死んだ振りではなくて本当に死ぬんだから、無になって神の存在を(大自然の意思を)実感するかしら?

悟るということは死の予行演習の中で、大きな存在に気が付くということだから、実際に死ぬ体験では否応なく

大きな存在に触れることになるだろう。

死ぬ瞬間に例えば、お前は舞踏の古川アンズさんの表情をする、ちょっと下あごを出して受け口にして、やがて見開いた瞼をゆっくり端正に閉じる。

そして本当の眠りに入る。その時大きな大自然の存在にどっぷりとつかる。包まれる。抱かれる。

いつも僕のそばにいてくれてありがとう。

お前がいなかったら、僕の人生は半分の面白さしかなかったと思う。

さようなら