10年程前、仕事で韓国を訪れる機会があり
会場と宿舎の往復をする送迎バスが必ず通る道があった。
ソウルに2年以上住んだ今なら分かるのだが
その道とは光化門(カンファムン)とその前の広場との間にある道だ。
当時、光化門は撤去した旧朝鮮総督府跡に建設中で
工事中の大きな壁があるだけだった。
あの大きな壁が取り払われた今なら見える
青瓦台(チョンワデ:大統領官邸)や
その後ろにそびえる美しい北漢山(プッガンサン)が見えなかったのは
ソウル市や韓国そのものにとって大きな損失だったろうに
朝鮮総督府への積年の恨みの方がそれに勝っていたのだろう。
あの頃既に広場側には威風堂々とした銅像があったが
有名な王様だということくらいで
名前も聞いたはずなのに特に印象には残っていなかった。
今ならこれも知らないと恥をかくくらいなのだが
この銅像こそ現在の韓国で最も尊敬され
1万ウオン札の肖像でもある世宗大王(セジョンデワン)だったのだ。
因みに世宗王の肖像は一枚も現存せず
銅像やお札の肖像は空想で描かれたものであるという。
世宗王は三男で比較的温厚な性格だったとされるが
父の太宗の方は初代李成桂(イソンゲ)王の五男で
八男を跡継ぎにしようとした実の父王李成桂に反乱を起こして
腹違いの弟である八男を殺したり野心を抱いていた四男を退けたりと
武勇伝に事欠かない人物だった。
幼少の頃から本を読むことが最大の楽しみだった世宗は
兄王子達が自ら失脚した為に22歳で王として即位した。
即位2年後には集賢殿を作って若くて優秀な人材を集め
保守派の反対を押し切って新進派に訓民正音(ハングル)を作らせ
1446年に公布したことが最大の功績と言われている。
その他の功績として挙げられるのは
王立天文台・日時計・自動水時計・測雨器・火薬や火器の製造開発などだ。
当時の朝鮮王朝は高麗王朝の残存勢力がスパイとして入り込んだり
事大主義と言って大国に従属することで国を存続させようという空気があり
明(中国)の顔色を常に伺わなければならない状況で
ハングルの発明は明の支配から離れることを意味し
他の発明品?に関しても明のものが基礎になっているので
開発していることを明に知られる訳にはいかなかった。
文字に関して言えば、支配層の両班(ヤンバン)達だけが漢文を読み書きし
中下級官僚達は吏読(イドウ)という方法で漢字を朝鮮語として読んでいた。
当時吏読で使われていた漢字には
漢文を和読するために使っていたカタカナの原型と同じ字を始め
現在も日本で使われている漢字が在ることは興味深い。
例えば、「ア阿」「イ伊」「カ加」「タ多」「ヤ也」は
日本語のカタカナの原型漢字表にあるものと同じであり
この他万葉仮名やカタカナの原型漢字表にはないが
「オン温」「コ古」「サ沙」「シャ舎」「シン申」「タ他」「ト吐」「ナ那」「ナン難」「ニ尼」「ニョ女」等は
韓国人が読んでも現在日本で使われている発音とほぼ同じになる。
ところで、ハングルは日本語よりも発音の種類が多いため
あらゆる言語を表記できると言語学者が言ったとか言わないとかで
その例としてインドネシアの文字を持たない少数民族チアチア族が
2009年に彼らの言語を表記する方法として
ハングル文字を採用したことが
明るい話題としてニュースでも取り上げられた。
しかしながら、チアチア語の音声をハングル文字で表記しただけなので
韓国を表敬訪問したチアチア族の皆さんと
迎えたソウル市長達の意思疎通は
お互いの国の言語では出来るはずもなかった。
また、ハングルで表記する英語の発音に関しては
「ds」をジュ・「f」をプ・「ts」をチュ・「th」の濁る方をドゥ・「sh」をシ
というようにしか発音できないため
日本人同様、英語が通じなくて苦労しているようである。
両国の外来語の発音が大きく違って通じにくいことも
発音の種類が違うことに起因していることは明らかだ。
あ行からいくつか例を挙げてみると
アパート→アパトゥ、アフターサービス→アプトゥソビス、アイスコーヒー→アイスコピ
イメージアップ→イミジオップ、エアコン→エオコン等など
個人的には4,5回言ってみて、ああそうかと分かることが多い。
会場と宿舎の往復をする送迎バスが必ず通る道があった。
ソウルに2年以上住んだ今なら分かるのだが
その道とは光化門(カンファムン)とその前の広場との間にある道だ。
当時、光化門は撤去した旧朝鮮総督府跡に建設中で
工事中の大きな壁があるだけだった。
あの大きな壁が取り払われた今なら見える
青瓦台(チョンワデ:大統領官邸)や
その後ろにそびえる美しい北漢山(プッガンサン)が見えなかったのは
ソウル市や韓国そのものにとって大きな損失だったろうに
朝鮮総督府への積年の恨みの方がそれに勝っていたのだろう。
あの頃既に広場側には威風堂々とした銅像があったが
有名な王様だということくらいで
名前も聞いたはずなのに特に印象には残っていなかった。
今ならこれも知らないと恥をかくくらいなのだが
この銅像こそ現在の韓国で最も尊敬され
1万ウオン札の肖像でもある世宗大王(セジョンデワン)だったのだ。
因みに世宗王の肖像は一枚も現存せず
銅像やお札の肖像は空想で描かれたものであるという。
世宗王は三男で比較的温厚な性格だったとされるが
父の太宗の方は初代李成桂(イソンゲ)王の五男で
八男を跡継ぎにしようとした実の父王李成桂に反乱を起こして
腹違いの弟である八男を殺したり野心を抱いていた四男を退けたりと
武勇伝に事欠かない人物だった。
幼少の頃から本を読むことが最大の楽しみだった世宗は
兄王子達が自ら失脚した為に22歳で王として即位した。
即位2年後には集賢殿を作って若くて優秀な人材を集め
保守派の反対を押し切って新進派に訓民正音(ハングル)を作らせ
1446年に公布したことが最大の功績と言われている。
その他の功績として挙げられるのは
王立天文台・日時計・自動水時計・測雨器・火薬や火器の製造開発などだ。
当時の朝鮮王朝は高麗王朝の残存勢力がスパイとして入り込んだり
事大主義と言って大国に従属することで国を存続させようという空気があり
明(中国)の顔色を常に伺わなければならない状況で
ハングルの発明は明の支配から離れることを意味し
他の発明品?に関しても明のものが基礎になっているので
開発していることを明に知られる訳にはいかなかった。
文字に関して言えば、支配層の両班(ヤンバン)達だけが漢文を読み書きし
中下級官僚達は吏読(イドウ)という方法で漢字を朝鮮語として読んでいた。
当時吏読で使われていた漢字には
漢文を和読するために使っていたカタカナの原型と同じ字を始め
現在も日本で使われている漢字が在ることは興味深い。
例えば、「ア阿」「イ伊」「カ加」「タ多」「ヤ也」は
日本語のカタカナの原型漢字表にあるものと同じであり
この他万葉仮名やカタカナの原型漢字表にはないが
「オン温」「コ古」「サ沙」「シャ舎」「シン申」「タ他」「ト吐」「ナ那」「ナン難」「ニ尼」「ニョ女」等は
韓国人が読んでも現在日本で使われている発音とほぼ同じになる。
ところで、ハングルは日本語よりも発音の種類が多いため
あらゆる言語を表記できると言語学者が言ったとか言わないとかで
その例としてインドネシアの文字を持たない少数民族チアチア族が
2009年に彼らの言語を表記する方法として
ハングル文字を採用したことが
明るい話題としてニュースでも取り上げられた。
しかしながら、チアチア語の音声をハングル文字で表記しただけなので
韓国を表敬訪問したチアチア族の皆さんと
迎えたソウル市長達の意思疎通は
お互いの国の言語では出来るはずもなかった。
また、ハングルで表記する英語の発音に関しては
「ds」をジュ・「f」をプ・「ts」をチュ・「th」の濁る方をドゥ・「sh」をシ
というようにしか発音できないため
日本人同様、英語が通じなくて苦労しているようである。
両国の外来語の発音が大きく違って通じにくいことも
発音の種類が違うことに起因していることは明らかだ。
あ行からいくつか例を挙げてみると
アパート→アパトゥ、アフターサービス→アプトゥソビス、アイスコーヒー→アイスコピ
イメージアップ→イミジオップ、エアコン→エオコン等など
個人的には4,5回言ってみて、ああそうかと分かることが多い。