30.「30日」
病名は覚えてなかった。
というより興味がなかった。
確か脳のどこかが萎縮する進行性の病気とかなんとかで、余命はあと三ヶ月。
三ヶ月もいらないさ。
俺は、いつ死んだって別にいい。
「なんだ?余命三ヶ月なんて言われたのか?あのヤブ医者め。」
真っ暗な空間の中で話しかけてきたのはミニチュアダックスだった。
どうせ夢だと分かったからか、俺は意外と冷静でいられた。
「誰だ、お前は?」
「死神だよ、死神。お前に本当のことを教えにきてやったんだ。」
死神?こいつが?なんでミニチュアダックスが死神なんだ?なんか、こう…
「イメージと違う。」
俺が言うと死神は「ワン!」と鳴いてから答えた。
「お前子どものころにこんな犬に追いかけられたことあるだろ?その時のイメージが潜在意識に残ってんだよ。」
覚えていないけど、確かに俺は犬が嫌いだ。
「そんなことはどうでもいいけど、本当のことってなんだ?」
「そうそう、残念なお知らせだ。お前は医者に余命三ヶ月と言われたみたいだけど、あと30日だ。」
そうか、でも俺にはそれもどうでもいいことだ。
「30日か、わかった。」
俺が答えると死神はつまらなさそうにもう一度鳴いた。
「なんだよ、冷めてるな。まぁ、短い付き合いだが仲良くしようぜ。」
目が覚めて死神の姿は消えていたが、昨日病院で言われた事実は消えていなかった。
あんな夢を見たこと自体が、もう脳の病気が進行している証拠なのかもしれない。
「あと、30日か。」
会社には余命のことは隠したまま、病気による長期休養をもらった。親とはもうずいぶん連絡をとっていない。恋人はもちろん、友達もいない。俺を縛るものは、何もない。
残された時間を使って、俺はいろんな景色を見て回った。人が嫌いな俺は、子どもの頃から誰もいない山や海などの静かな景色が好きだった。最近は何もやる気が起きずに久しく忘れていたが、どうせなら最後は今まで行きたかった場所にいこう。人生の最後に美しい景色が見れるなら、悪くない。
30日は、あっという間だった。
それだけ俺には見たい景色がたくさんあった。
いつ死んでもいいと思っていたけど、なんだか逆に未練が沸きそうだ。あんなに嫌いだったはずの世界を、嫌いになりきれない。もしまだ俺に時間があったら、見てみたい景色が山ほどある。
それでも、今日が死神に言われた30日目だ。
俺は最後の死に場所を近所の公園に決めて、ベンチに座り込んだ。
「まぁ、しょうがないか。俺の人生こんなもんさ。」
ベンチに横になって、目をつぶる。
おーい、死神。もし聞こえているなら、昼寝をしている間にとっととこの命を持って行ってくれ。
真っ暗な空間に、またミニチュアダックスが現れた。
「どうだった?この30日間は?」
「悪くなかったな。でも、俺はもう諦めはついてるから、いつでもいいぞ。」
俺が言うと死神は少し高い声で鳴いた。
「いつでもいいって、何がさ?」
「俺の寿命はここまでなんだろ?いつでも好きに終わらせてくれ。」
「お前は、本当に残念な男だな。」
犬の姿をしているが、死神が笑っていることは分かった。死神は続けた。
「誰がお前の寿命が今日までって言ったよ?30日ってのは、お前の病気が治るまでの時間だよ。」
なんだ?こいつ、何を言ってる?
「死にたがっていたお前には残念なお知らせだけど、お前はまだまだ死なねえぞ。」
何だよ、それ!?
俺は今日までの命のつもりで…
「言ったろ?短い付き合いって。元気にピンピンしてるやつに俺はいつまでも付き合ってられないのさ。」
死神は大きく「ワン!」と鳴いて、俺の元から遠ざかって行った。
待てよ!
と、飛び起きたらそこは公園のベンチだった。俺はどのくらい寝ていたんだろうか?まだ太陽がずいぶん高い位置にある時間だった。
「どうするんだよ、今からの人生…。」
遠くから、犬の鳴き声が聞こえた。あれはミニチュアダックスだろうか?それとも別の犬だろうか?
「もしかして、ちょっと安心してないか?」
犬の鳴き声を聞いただけで、あいつのそんな声が聞こえてきそうな気がする。やっぱり、俺は犬が嫌いだ。
「しょうがない。ウユニ塩湖でも見に行くか。」
先の長い人生の暇潰しをするべく、俺は今立っている場所から一歩を踏み出した。