8.「入口」
デスクトップには2つのアイコンのみが表示されていた。
一つはごみ箱。そしてもう一つが「入口」と名付けられたフォルダ。
最初にゴミ箱を開いてみたら、中にはたったひとつだけデータが入っていた。
ゴミ箱に捨てられたデータの名前は「仲田祐介」。
どんなデータなの調べようとしてデータを復元しようとしたら、エラー音とともに「このデータは元に戻せません。」と表示された。
次に「入口」フォルダを開こうとした時、隣に置いてあった黒電話が鳴った。
「時間は気にしなくていいので、ゆっくりお選びください。」
声の主に心当たりはなかった。というよりも、俺は自分のことすらよく思い出せなかった。
さっき目覚めた時には素っ裸でこの部屋にいた。
真っ白なこの部屋に置かれているのは、1台のノートパソコンとパソコンに繋がったプリンター、そして1台の黒電話だけだった。
「これは何かの実験か?それとも精神疾患の治療か何かか?」
こんな状況にもかかわらす、俺は不思議と落ち着いていた。
「どっちかというと実験に近いですかね。」
電話の主も落ち着いて答えた。
「で、何をゆっくり選べばいいんだ?」
「あれ?まだ開いてませんでしたか?目の前にパソコンがあると思いますので、そこから「入口」のフォルダを開いてください。」
言われなくても、この電話がなければとっくにやっていることだった。というよりも、この状況でできることはそれくらいしかない。
受話器を左手に持ち換えた俺は、言われた通り「入口」フォルダを開いた。
フォルダの中には、さらに4つのフォルダが並んでいた。
フォルダの名前は、上から順番に「井上桜」、「川本修一」、「ダニエル・オニヅカ」、「仲田祐介(再)」。
「なんだこれは?」
「ひとつずつ順番に開いてみてください。」
とりあえず一番上の「井上桜」のフォルダを開いてみる。フォルダの中にはテキストファイルが一つだけ入っていた。
「テキストファイルがある。」
「本当はもっといろいろ情報があるんですけどね。今のあなたが見れるのはそれだけです。開いてみてください。」
俺は無言で「井上桜」のテキストファイルを開いた。
“2027年4月4日
井上裕太と井上(旧姓・近藤)香織の長女として誕生。
出生時の体重は2865g、血液型は…”
なんだこれは?
画面をスクロールすると、井上桜という人物の生涯が事細かに記されてある。
俺は「井上桜」のファイルを閉じると、他のフォルダも開いて中のテキストファイルを確認した。
「川本修一」のファイルにも、「ダニエル・オニヅカ」のファイルにもその人物の一生涯が記されている。
「今度も日本人ですね。あ、一人だけ日系人がいるか。」
電話の向こうで声の主が淡々と言った。
「あ、もちろん最後のファイルを選んでもいいですよ。なんか前回だけでは情報が不完全だったみたいだから。」
俺は「仲田祐介(再)」のファイルを開いて、画面を最後までスクロールさせた。
“2018年2月25日
自宅(日本・広島県廿日市市)の13階建てマンションの屋上から飛び降りる。
地面と衝突しそのまま死亡。
享年24歳。”
このテキストファイルの内容が意味するものは、さすがの俺にも予想はできる。
ただ、ひとつだけ確認したいことがあった。
「…なあ、聞いてもいいか?」
「なんなりと。」
「さっき実験に近いって言ったけど、なんの実験なんだ?」
「あー、それはですね。デバックみたなものだと思ってください。一応だいたいはテキスト通りになるんですけど、たまにバグとかエラーが起きてテキストが書き換えられちゃうんです。」
なるほど。前回はバグが起きた可能性があるから、確認のために今回も「仲田祐介(再)」があるわけか。
バグが起きたからこの結果なのか、それともバグが起きない正常な結果がこれなのか、それはきっと今の段階では誰にも分からない。だから…
「決めた。この「仲田祐介(再)」にする。」
「分かりました。ではまず…」
俺が重大な決断をしたのにも関わらず、電話の主は淡々と次の手順を説明し始めた。
「そこのプリンターでそのテキストを印刷してください。その紙を持って扉に入れば始まります。後は基本的にテキスト通りのはずですので。」
電話の主が言うと、さっきまで何もなかった壁に扉が現れた。
「あの扉が…」
「そう。あれが入口です。行ってらっしゃい。」
それだけ言うと電話は途切れた。なんて事務的なやつだ。
受話器を置いてテキストを印刷をし終えると、俺は分厚い束になったテキストを手に持って扉の前に立った。
「『行ってらっしゃい』か…。よし!行ってきます。」
一度深呼吸をして、俺は入口の扉を開いた。