『述べて作らず』 | enjoy Clover

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三つ葉を伝える路上詩人じゅんぺいのブログです。
日常の喜びを中心に日々の出来事を書いていきます。

あなたの今日がちょっと楽しくなりますように『述べて作らず』
2015年05月20日 07時00分 発行
じゅんぺいです。

今日をもうちょっと楽しく生きること、本当はそんなに難しいことじゃないはず。

僕が知ってることはほんの少しだけおだけど、あなたの今日がほんのちょっとでも楽しくなるように、受け取ったものを伝えていきます。

でも本当は、たくさん迷う自分自身への道しるべ。
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おはようございます♪

最近、また少しずつ走り始めました。

「今まで一番何に時間を使いましたか?」

なんて質問がよくありますが、今の僕のその質問に対する回答はきっと走るということ。

中学高校大学プラス社会人になっても少しだけ、一日だいたい2~3時間陸上競技の練習をしていました。

きっとそれが僕のアイデンティティーのひとつにもなっています。

これからも、週に1回か2回は少しずつ走っていこうと思います。


今日のメルマガでは、武田鉄矢さんがラジオで言っていた言葉をご紹介します。

「述而不作」。

これは「述べて作らず」と読みます。

この言葉は論語に出てくる言葉で、孔子が学問に対する自分の態度を語った言葉です。

意味は、自分は別の誰かの言動を伝え、述べるだけで作り話はしないという意味。

「私はコピーしているだけで、決してオリジナルではありませんよ」という立ち位置をとるということ。

孔子は自分の言葉では語らず、周という理想国家の君子の言葉を借りて人に伝えていただけといいます。

そもそも孔子は周の時代には生きておらず、実際には体験していない理想を語っていた。

だけど、不思議とそれが激しく人の胸を打っていたんです。

そもそも孔子について書かれている論語だって、実際には弟子たちが記録した書物で孔子本人は一文字も書き残していない。

キリスト教だって、十二使徒が伝えた教本があるだけ。

お釈迦様も、本人は一言も文字を書き残していない。

人間の知識や知恵というものは不思議なもので、「俺がオリジナルだ」といって語ったものは滅んでいってるんです。

「俺はオリジナルじゃないんだよ。俺の前にこんな人がいたんだよ」

そんな風に伝えられたことの方が不思議と後世に残っているんですね。

逆にいうと、天下の道理というものは古人、先人たちの残した知恵の中にすでに示されているということ。

『述べて作らず』

自分のオリジナルばかりを語るのではなく「述べて作らず」の態度で伝えている姿の方が、もしかしたら他の人から見たら魅力的に見えるのかもしれませんね。

ツイてるじゅんぺい8