1974年4月25日に、

ポルトガルで社会主義革命が起こってから、

今年で50年となる。

 

リスボンのテージョ川の吊り橋は4月25日橋と呼ばれる。

メインテナンスをしていないので、錆びて朽ちるのが心配だ。

 

さて、ポルトガルは、革命と同時に、

アフリカのアンゴラやモザンビーク、

アジアの東ティモール

などを手放して、

西ヨーロッパの小国となった。

植民地帝国が終わった。

 

その時から、

『ポルトガルは書籍や雑誌を通じて、

ポルトガルのイデオロギーを確立しようと努めた』

と、遠くから冷静に見つめて分析する海外の学者がいる。

 

質はともかく、左翼作家がどんどん小説を描き、日記やエッセイ、詩も。

出版社や印刷屋はどんどんそれを出し、

本屋に並ぶという仕組みが出来上がった。

毎年、ブックフェアーをリスボンの大きな公園で開催し、

作家が買ってくれた人の本にサインをする。

地方でもそのようなことがある。

テレビでも作家が出演して本の宣伝をする。

国内で映画になった本もいろいろある。

 

今は、本屋は少なくなったが、

そのようなやり方で、ポルトガルとはどのような国になるべきか、

どうあるべきか、を模索しながら、

左翼思想を当然のように定着することに成功した。

そうらしい。

そのように言う学者がいる。

 

ノーベル賞作家の

José Saramagoをはじめ、

António Lobo Antunes, 

Lidia Jorgeなど、

フランス語や英語に訳されて、ヨーロッパの他の言語にも訳されて、

ポルトガルの新しい国際化が実現した。

しかし、日本語訳となれば、ポルトガル語が難解で無理。

 

革命前の詩人Fernando Pessoaなどは英語に訳されて、世界的に大学での研究の対象になり、

論文も多いので、それだけ学位がとりやすいのかもしれない、、、

 

現在、中道右派、右派の政党も活躍するようになったが、

ポルトガルのような本の値段の高い国で、

ブックフェアーは毎年行われ、有名な著者のサイン会なども行われる。

 

私は、リスボンに住んでいた時に、ポルトガルは、当時は日本の外務省の1年の予算が、国家予算と聞いたことがあるほど、

リッチな国ではない。それでも、文学性や表現は文体の問題は別にして、

本の出版文化が盛んであったので、ある程度、「どうなっているのか」と疑問に思って、気にしていた。

ある程度において、出版文化が思想に左右されたものであったことを聞くと、

革命後の文学について、テーマはおもしろいものもあるが「はてな」マークをつけざるを得ない。

ポルトガル文学は、19世紀のロマン主義と写実主義時代の作家が最も質が良いと思う。

が、これもまた、難解なのだ。

日本語にできそうなものは、子供向けの『短編集』くらいだと思う。

あまり無理をすると、意味の取違の間違いだらけになる。

José Saramagoを英語から訳した本では、固有名詞のカタカナ表記や、前置詞句などの間違いが多い。

もっとも閉口したのは、História do Cerco de Lisboa『リスボン包囲の歴史』占拠の歴史物語であるが、

『リスボン周辺のはなし』と訳した人があった。acerca de...と見間違ったにちがいない。

 

世の中には知らない方がいいし、無理しない方がこともあるもんだ。