中国と言えば、歴史が長く伝統の深い国です。その中で最も古い王朝(夏)、紀元前2000年位あったとされています。
その中でも古代神話の伝説人物とされる禹帝について少し深掘りしていきます。
禹帝とは?
先程申し上げた通り、中国最古の王朝(夏)の最初の帝。
禹自身、卓越した政治手腕がありましたが、決して誇る事はなく、民から愛される人物だったそうです。
夏王朝は定かではないが、400年程続く、長い王朝だったそうです。
政策はなにをしたの?
主に黄河の治水事業を行ったとされています。
以前黄河の大洪水が起き、治水事業は禹の父親が命じられました。父の鯀は高地を削って低地を埋める「湮」と呼ばれる方法を用いましたが、待てども9年成果が上がらず。治水事業は失敗に終わりました。
その後、息子の禹が治水事業を引き継ぎました。禹の治水方法は「疏」と呼ばれ、水路を切り拓き、堤防を敷き洪水を流す方法で、見事に成功を収めました。
また、場所によって、禹は父の「湮」も採用したそうですよ。
禹は夏の帝に即位した後は、しばらくは武器の生産をやめて、田畑の食物生産量に目をやり、農民を苦しませる事なく、関所、市場などの諸税を免除、地方に都市を作るなど、余計なものを簡略しながら発展していったそうです。もちろん治水事業も並行して行っていきました。
宮の増築など、本来の国の権力者が率先してしたがる事を後回して、率先して民の為に事業に取り組んだ。
禹は高い政治能力だけではなく、民からの人望も厚い、国のトップとして最高の人物ですね。
禹歩っていう言葉はご存知でしょうか?
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禹は夏王朝の為、国内を常に目を配ばり、四方八方歩いて状況を確認していたそうです。
その為、体調も悪く、黄河の事業で手が荒れ、足も不自由になりながらも足を引きずって歩いていたそうです。
禹歩の語源は足を引きずりながら歩く姿をみて出来た言葉です。
何故、英雄と言われるの?
黄河事業の活躍もあり、治水の英雄として、中国の英雄として、現在でも知られる一人です。
たしかに、夏王朝の取り組みを見る限り、自分の事を後回しにして国民の為に身を投じる姿を知れば、たしかに名を残す一人でしょうね。
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今回は治水の英雄、禹について少し掘り下げていきました。
中国最古の王朝、夏の帝でありその姿は国を発展させる為に尽力する姿が印象を受けました。
禹の偉業は現在でも讃えられています。
「トップはこうあるべき」の一つとして学ばせて頂きましたね。
自分が似たような立場だったら、こうゆう場面に出くわしたら?自分に置き換えてみて行動しても良いかも知れませんね。
是非、参考にして頂けたらと思います。