何回かブログに書いた話
自分が心優しくなりたい時に思い出す話
私が小学生時代、体育の時間に手つなぎ鬼をして走り回っていたら、男子同級生とぶつかり、私の左目の下、男子同級生は顎に縫う怪我をしました。
近所のおじさんが私の傷に貼ってあるテープの大きさをみて、母に、「これは傷が残るよ」と言っていました。母は少し戸惑ったような顔をしていました。
母と祖母は何かコソコソと私に聞こえないように話していましたが、多分、ちょっと聞こえた内容から、仕方ない、のようなことを言っていました。男子同級生の親御さんにお互い謝りの電話をしていました。
母は仕事柄、学校にも何も言わなかったのでしょうし、性格上、仕方ないね、、とそのようなことをしないような人でした。
私にも、殆ど傷に対して何も言わずでした。痛かったね、びっくりしたでしょう、なども。
私の目の下の長い傷
今も薄っすらと痕が残っています。
顔にテープを貼り無邪気に母とお風呂に入っていました。私は湯船に母と入り、タオルで空気風船を作り無邪気に遊んでいました。当時は傷跡が残ると言われてもさほど気にならない年齢でした。
私の後ろで湯船に浸かっていた母
私が振り向くと
母は
目の焦点をぼんやりさせ、無言無表情で、目から一筋涙を流していました。映画のワンシーンみたいにツーッと赤みを帯びた目鼻の横を流れていきました。
それでも何も言わない母
私はその時、泣いた母をみることはなかったので、
母は私を思ってくれている
と、びっくりした記憶があります。
言葉で何も言わなかったから、傷も仕方ないことだとあまり対して娘の傷に対しても気にしないのかなとも思っていたように思います。
何となくそんな母の性格に私は慣れていました。
そんな母が人知れずお風呂にはいり、泣いていました。誰もみていないお風呂で。
それだけで私は幸せです。
あの無言の涙
早くに旅立った母 私への宝物を残して
学校にも少しは何か言いたかったのでは?
相手の男子生徒は顎の傷だけど私は顔の傷。
悔しかったのでは?
全ては母の中
いそいで書いた昼休み
誤字脱字等お許しを
それぞれの昼からを