以前にも度々祖父母家の食卓のことを書いています。
それくらいインパクトがあり♡
私には懐かしい、書くことが楽しいことなりけり。
母方の祖父母の家で祖母のご飯は至ってシンプル。
煮物の味付けは、ほとんどが「醤油砂糖塩みりん酒」だったような。
海辺の田舎にて、魚が安くて美味しくてよく食卓に上っていました。祖母が家の外の水道で魚の処理をします。外用包丁で鱗をジョリジョリ。お腹もきれいに。
再々も再々
祖父母の家で、ちゃっかりうっかりひょっこりとご飯を頂く私がいました。
遅くに私を迎えに来る母のご飯も祖父は、祖母に司令を出し確保。
母も食べてから祖父母と少し団欒し、
私と家に帰っていました。
祖父の隣の席が私の席
ちゃっかり祖父宅に私の席あり
今でも懐かしいのが、
メバルの煮付
いつものことながら、早食い選手の祖父は早々に食べ終わり、周りをみています。
煮付を食べ終わり、いつものように
「ご馳走様でした」
と、手を合わせます。
もはやこの時点で気持ちはデザートの果物はなんじゃらほい、が頭を巡っています。たいていバナナ。りんごは皆で分けます。
メバルの煮付
祖父がすかさずに、一旦ご馳走さまをした私に言います。
「食べ終わったメバルの煮付にお湯を注ぐから、飲みなさい。これが美味しくて、滋養があるのだ。」
横で金剛力士像のように私とお湯が注がれていくメバルの煮付をみている祖父がいます。
一度か、私は、
「え〜、なんだか、飲みたくないわよ〜食べ終わった魚の骨に〜?なんだか嫌なのよ〜」
と、祖父に言うと、
金剛力士像はクワッとけっこうな勢いの口調で、
「何を言っているのだ!メバルの煮付だぞ?もったいない。栄養がある。飲みなさい。飲みなさい。飲みなさい。」
と、譲りませんでした。
あの頃の私はそれを美味しいとあまり感じなかったような。
祖父が飲まないと許してくれないので、なんとなくいやいや飲んでいたような。
今は、懐かしく、あのような新鮮なメバルは私の普段の生活では手に入らず。
あの優しい骨のスープ
どれだけ身体や心によいスープか
今ならわかる気がします。
食べ物を最後の最後までを頂く姿勢
食べ物の大切さ 栄養
涙が溢れそうになりながらこのブログを書いています。
何の涙か。懐かしさか自分への悔しさか。
あの優しい骨のスープ
ただ、思い出しただけの話でした。
また飲みたいなぁ。
それぞれの昼からを