水の綺麗なところ その3
水のスピリットたちはまだまだ私にちょっかいを出してきました。
いくら「水の綺麗なところに行きたい」という直感が来たとはいえ、それに従ったらこんなにも次から次へと「水」が、というより水のスピリットさんたちが遊んでくれるとは思いませんでした。改めて思うこと、それは「やっぱり、直感に従ってよかった」
「じゃあ、次の場所に行くわよ」と声をかけられたのは、湖のキリッとした冷たさが時間とともに寒さに変わってきた頃でした。服を着て靴を履き直して10分少々のトレッキング。今度もまた「水」場でした。
それは、那智の滝のようにすごく高いわけではありません。高さはだいたい15メートルくらい。それは、世界の瀑布と言われる滝のように幅が広いというわけでもありません。幅はだいたい10メートルほど。
ただ、水量がすごい。上から水が溢れでているんです。そう、溢れている感じです。泉のように湧き出ているのではなく、地球から水が溢れているんです。この時を待ってましたと言わんばかりに地球から水が生まれているんです。ドバッーっという絶え間ない音は鼓膜を通り越して頭頂を抜けていきます。
「えっ、こんな静かな山の中に、こんな自己主張してる滝があるの?」と思っていたら。
「ここはちょっとした秘密の場所なの。私たちにとっては結構、聖地だよ」と後ろで声がしました。
「どういうこと?」
「聖なるところなの」という彼女のシンプルな回答に「そうなんだ」と思う以外できません。きっと「どんな聖地なの?」と突っ込んで聞いたところで、「聖地は聖地よ」という答えが返ってくることが容易に想像できたからです。
彼女の面白いところは「ここは聖なるところなの」ということを普通のトーンで伝えてくるところです。これが私たちだと一段か二段上がって気持ちと声で「ここはパワースポットよ」とか「なんてパワフルな場所なの」となります。あるいはそのパワーに対して意味をつけたがります。なぜならそこが私たちにとっては非日常の場所になるからではないでしょうか?その証拠に私もこうしてブログに書いてます。それに対して彼女にとってその聖なる場所は日常の範囲にあり、日常的に来ている場所です。もしかすると数時間前にここに来てたのかもしれません。
こうした違いは育ったり住んだりしている環境によるものではあります。ただ、それとともにマインドの部分においても、聖なるモノやコトが日常に存在するということになるのではないでしょうか。生活の一部であるがゆえに、あまりにもフラットで、普通で。私たちが毎朝同じ駅から同じ時間の電車に乗って会社に行くことに何も感じないように、聖なる場所が生活の中にあるんだろうなー。と思いながら、持って来た水筒に水を汲んでいました。
だって、本当にそこの水は生きる力に溢れていたんですから。次のワークショップでみんなにおすそ分けしなければって思ってしまいました。
本日もありがとうございます。
with much aroha.
◆春分の日のセレブレーション 内なる神の目覚め
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