<毒舌のプロ>といったら皆さんは誰を思い出すだろう? | "ナレッツェリア"

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「毒舌の会話術」梶原さんへのインタビュー後半をポッドキャストリリースしました

毒舌のプロ>といったら皆さんは誰を思い出すだろう。
わたしなら、田中眞紀子さんが筆頭に上がるが、上岡龍太郎さんや、ビートたけしさん、もしくは「綾小路きみまろ」さん を思い出す人がいるかもしれない。
例の「奥さん、お美しぃ・・・首から下が!!」という彼だ!ビックリマーク

これらの方々は、確かに毒舌家であることは、確かである。

そしてこの人達に共通することがある。
それは悪口や皮肉のように、人を攻撃するための言葉の恫喝ではない。
相手との距離を一気に縮める高度な会話テクニックを持っているという点だ。

実は、秀逸な観察眼でズバッと本音を語り、相手を怒らせる寸前で巧みにフォローを織り交ぜ、
笑いと共感を誘う

その落差に人は引きつけられているのではないだろうか。
差し障りのない表現では、ここまで人を引きつけることはあり得ない。

皮肉と毒舌の違い
皮肉は毒舌と同様、基本的には他人へのネガティブな、けなし表現ではある。
しかし両者にはニュアンスにおいて少々違うものがある。

皮肉は、見かけ上はポジティブな内容を表現するが、実際にはネガティブな意図を持っているからだ。例えばこんな例を梶原さんが挙げている。

彼氏が高級レストランに連れて行ってくれるのかと期待していたが、意に反して安っぽいファミレスだった時の彼女の反応。

彼女「とてもゴージャスなお店ね!感動したわ。」これは皮肉になる。
毒舌でいうなら、
彼女「何よぉ・・ エッチ が終わったら、もうどうでもいいと思って!こんな安いレストランに連れてきた訳?どうなのよぉ!」
前者では彼女も高級レストランにいけるのではという期待が満たされなかった不満をあえて逆転させた言い方で表面上は、「感動したわ」とポジティブ表現を使っているが、突き放した冷たい感じが漂っている。

直際に不満を口にするより、より心の底の冷たさを強く感じる表現ではないか。
一方で、後者の毒舌は、攻撃がストレートなだけに言われた方も、言い訳するチャンスをもらえたともいえる。(無理かもしれませんが(゚_゚i))

表情も言葉も明らかにネガティブだが、正直に本音を目の前で言ってくれているから受け入れられるのではないか。
争いの中からポジティブな親密さを感じるチャンスだってあるであろう。
こんな意味で“皮肉”と「毒舌」は一線を画すといえる。

毒舌本とはいえ、この本の中に、おかまタレントとしておすぎとピーコが取り上げられたり、
マツコデラックス等も例が上がっていたり、日出郎さんについて語っている。

おすぎとピーコは「おかまは、うわべでのことは言わないの。本当のことしか言わないわ。」などと鋭く突っ込んだ毒を吐きながら、人気者であり続ける秘訣が見えてくる。

様々な葛藤を乗り越えオカマであることカミングアウトし、みずからの思いを正直に言いきるから(彼女は、)建前を排除した姿勢に共感する人々は少なくない。
オカマというのは、生まれた時から野党なの。」と、こんな発言は筋金入りというほかない。
東国原知事にそっくりなオカマといえば、日出郎さんだ。日出郎さんは、新宿2丁目で店を出すまでの地位を獲得している。
彼は、こういう

この間、選挙があったでしょ。候補者の話題が出た時、たまたま目の前の人がその候補者応援してたりするとするじゃない?
そしたら「あらぁー偉そうに聞こえちゃったかしら?私オカマだから選挙権ないの、ごめんなさいねえ!」等と自虐的なことをいうと笑って許してもらえたりする。

自分を一段下げることで、男の人も女の人も私を敵視しなくなるのね。
むしろそんな私の毒を吐いてもらいたがってお店に来る人も多いのよ。

他にも、在日朝鮮人の辛淑玉さん
彼女も女性差別問題、エイズ問題、民族差別問題など、多様な分野で真正面から吐き続ける正論~激論、毒舌に至る道筋は、ある種の芸域に達していると表する者もいる。
この本では、毒舌に関して慎重に扱うために、著者梶原茂さんは、出版の前に対人配慮コミュニケーション「ポライトネス」理論に詳しい麗澤大学の滝浦真人教授に毒舌について相談している。
何となく芸能界やテレビに出演している人が書いた本ということで、軽く考える方もいるかもしれませんが、実に用意周到に下調べがされた1冊と思います。
コミュニケーションについて、ちょっと角度変えた視点が欲しいとも方には、ぜひおすすめの1冊です。
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