どうしても書きなぐらずにはいられなかったことを、
立て続けにアップするつもりでした。
欠場が決まり、もうそのままにしておこうか、とも思いましたが、
私自身の気持ちが変わったわけではないので、やっぱり一気に上げちゃいます。
こんな時期に、しかも長文ですが、また戯言がはじまったよ、と流していただければ幸いです。
ビートルズのスターティングポジションについたとき
大輔さんは、まだシールドの中にいた。
その中で、いいよ。何の問題もない。
ただ、大輔さんの思うがままに滑れますように。
祈りが充ちる。
歓声が、ある意味闘うべき相手の一つなのは、
そこに生じる綻びから
自分の世界が外に開くことの危うさから
自分自身を守らねばならなかったから。
なにがなんでもジャンプを降りるために。
そうしてなにがなんでも勝つために。
強い覚悟と、ほんの少しの後ろめたさをもって、
彼は結界を張っていただろう。
皆の思いは、祈りは、決してそれを侵すことを望んではいなかった。
だが、しかし、
少しずつ、少しずつシールドを溶かし
ついに、かれは温かな陽の光を全身に浴びる。

画像お借りします。
http://www.asahi.com/sports/gallery/2013nhkhai/5_5.html
どうしたって、互酬。
彼のスケートの本質はそこにあるのだろう。
以前私は
「私たちは大輔さんに、自分のために滑ることを願う。
でも大輔さんは、自分以外のもののために滑る。
それが彼のスケートの本質なのかもしれない。」
と書いた。
私たちはなぜ、大輔さん自身のために滑ってほしい、と願うのか。
それは、彼のスケートからたくさんのものをもらってきたから。
そのことへの感謝からの祈り。
彼は、その祈りを受け止めて
また、いつか、どこかで、
自分以外の何かのために滑るのだ。
そういう、感謝と祈りの互酬。
彼のスケートの本質から離れたままビートルズを滑ることはできない。
そういうことだ。
ローリーの思いの込められた曲を聴き
思いの込められた振りをなぞり
微笑めば
どうしたって、世界は開くだろう。
それがプログラムの力というものだ。
そしてそれが、高橋大輔の力というものだ。
ソナチネも、モロゾフの手が入らなければ
あれほど強固な結界を張れなかったと思う。
賢二先生のソナチネは、外に開かざるをえないから。
月光にしても、ソナチネにしても
――百歩譲ってロックンロールも――
モロゾフの大輔愛は、ひしひしと伝わってくる。
モロゾフのめざすもの、それは「最高の高橋大輔を」みせること。
その一点で揺るぎがない。
閉ざされた世界であっても、それは可能であるし
今回のように、どうあっても「勝たねばならない」ときには
外部という不確定要素を排除できる分、ものすごく威力を発揮する。
そういう意味で私はモロゾフを認めているし
大輔さんにとって確かに必要な存在だろう。
いや、必要、不必要を超えた、
やはり一つの愛が結びつけている縁であるのだろう。
だけど、賢二先生のソナチネもローリーのビートルズも
目指しているものは
「最高の高橋大輔で」みせる、ということだ。
何を?
それは、まず振付師から大輔さんに示され
大輔さんが自分自身の中に落とし込み、
自分の中から沸き上がってくるものとすりあわせ
観客に示し
観客から返ってくるものをまた落とし込み、すりあわせ
そういう過程を経て、初めてたち現れてくる世界だ。
どちらもまだだ。まだまだ、これからだ。
実はビートルズよりも、ソナチネの方が、葛藤が深そうだ。
というより、すりあわせに齟齬が生じているように思う。
衣装の方向性が、ほぼ決まったという言葉を聞くと。
まあ、葛藤は深ければ深いほど、齟齬は大きければ大きいほど
化けかたも大きい、というのが高橋大輔なんだろうけど。
「最高の高橋大輔を」みたくないわけではない。
でも私たちは、すでに「高橋大輔が最高であること」を知っている。
彼の地にいくためには、「最高の高橋大輔を」みせ続けることが必要なのかもしれない。
だけど彼の地では、その時には
「最高の高橋大輔で」みせてくれると信じたい。
そうすれば、それは必ず、
「聞き継がれていく名曲」での、語り継がれる時間となるから。
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