今年初のブログ更新ですか(^^;。

自らの環境が劇的に変化しているので、なかなかこちらまで手が回らなかった、というのが正直なところです。


さて、そうです。今日は、5月29日。

69年前の今日、昭和20(1945)年5月29日は、横浜がアメリカ軍による大空襲に見舞われた、いわゆる横浜大空襲の日です。

毎年この日(前後を含めて)には何らかの投稿をブログに行ってきましたが、横浜大空襲がどのようなものだったのかについては、去年の投稿を是非ご覧下さい。(http://ameblo.jp/hamagoro/entry-11539767353.html


今年はどんなことを書こうか、いろいろ考えてきました。

尖閣諸島や竹島をとりまく事案、もちろん、既存の北方領土に関する事案、などなど、島国であるこの日本も、少なからず領土についての事案がいくつかあり、そこには必ず軍事力が介在しています。

これらのことについても書こうと思えば書けなくはないんだけど、そもそも尖閣も竹島も北方領土も、全て日本古来の領土だといういうのが、筆者の認識です。

なので、“領土問題”ではない。

願わくば穏便に解決して欲しい、そう思って止みません。


閑話休題。

さて、何故横浜大空襲が5月29日に行われたのか。

これについて興味深い話を耳にしたので、今年はそれを記述しておこうと思います。

そもそもこの横浜も、アメリカ軍による原子爆弾の投下候補地の一つとして、挙がっていたんだそうです。

横浜の他には、京都、金沢、広島、北九州、新潟…などが候補となっていたという話でしたが、最終的には、広島と北九州の2ヶ所に決められたそうです。

それが決定したのが、おそらくアメリカ時間だと思いますが、1945年の5月28日なんだそうで。

その翌日、というかアメリカ的には決定後すぐということになると思いますが、29日には原子爆弾投下候補地から外れ、それまでの無差別絨毯爆撃空襲からは外れていた大都市、横浜が狙われてしまいました。残念ながら。

先ほどのリンク先(のリンク先(^^;)にもありますが、それはそれは酷い空襲でした。

おそらく、通常爆弾・焼夷弾による空襲では、3月10日の東京大空襲にも勝るとも劣らない勢いのものだったのだと推測します。

 ※東京大空襲は、B29約300機。横浜大空襲は、B29約500機、と言われています。

場所の決定も日付も、もちろん攻撃する側が勝手に決めたことで、たまたま横浜も狙われた、ということになってしまいました。

そして、横浜の中心部が灰燼と化すまでの、焼夷弾爆撃が行われてしまいました。


余談ですが、5月28日の決定では、原子爆弾投下の第一候補地は広島・京都・新潟という、まだ大規模空襲もしておらず、軍需工場が比較的多いエリア、あるいは原子爆弾の効果が発揮できそうな都市が選ばれました。

そして、広島に8月6日に1つめが落とされました。
さらに紆余曲折を経て京都の代わりに選ばれてしまった北九州に8月9日…、しかし当日、北九州は前日発生した工場火災の煙によって街の様子が見えず、急遽長崎に変更になったんだとか。。。

結局、この2つの原子爆弾によって日本は終戦をせざるを得なくなったのは、ご存知の通りかと思います。

この辺の経緯については、Wikipediaのこちらのページが詳しいのでよかったらご覧下さい。

「日本への原子爆弾投下」


…って書いてたら日付を越えてしまいましたが(^^;、横浜大空襲があった5月29日、そして川崎鶴見大空襲があった4月15日と合わせて、何らかのブログ記述を続けて行くことが、後世に残された我々の使命なのかとも思い、これからも毎年続けて行こうと思います。