狼森は、一番近い、一はuniからuniverse/宇宙、狼はロウ・シンと読んで、労、神、宇宙、挽、金

《労(労働)の神は、宇宙を挽(引っ張る)金(尊いもの)である。》

 

『狼森と笊森、盗森」の広告チラシに《人と森との原始的な交渉で、自然の順位が二面が農民に与えた永い間の印象です。森に子供らが農具をかくすたびにみんなは「捜しに行くぞお」と叫び森は「来お」と答へました。》とある。》

 

① ある年の秋、四人の、けらを着た百姓たちがやってきた。

② その年の秋、(略)土の堅く凍った朝でした。九人のこどもらのなかの、小さな四人が夜の間に見へなくなってゐた。

③ 秋の末、霜柱のたつたつめたい朝、山刀も三本鍬も唐くわもひとつもなくなってゐた。

④ 秋のとりいれの後、霜の一面に置いた朝納屋のなかの栗が、みんな無くなってゐた。

⑤ そして毎年、冬のはじめにはきつち粟餅を貰ひました。

 

 何かが起きるのは、堅く凍った朝、霜の一面に置いた朝である。

 凍った/freeze→free/自由

 朝/morning→mourn/死を悲しむ、弔う

 

 そして冬の始まり、冬至?

 冬至とは陰きわまって陽がはじまる夜の一番長い日をいう。陰の気がようやく尽きて陽の気がかえってくる冬至、かつての新年。

 

 自然の順位二面というのは昼夜のことではないか、農民に与えた永い間の印象というのは、人が昼間しか行動(労働)出来なかった原始、夜の長さ、明けない朝は(時間)をどこかに盗まれたのではないかという疑念をいだいたのではないか。

 

1、小さな四人は死人、死者

2、山刀も三本鍬も唐鍬も(太陽、火)

3、粟/hour→時間

 

時の経過のなかで自然との共存関係、生きることの基本理念をあの世に景色を移して描いたものと思う。『皮トランク』の中に二人の人という記述があるにもかかわらず、二人のなかの一人しか出てこないのは、二人が(不退/あの世)であり、作品はすべて(あの世/冥府/不退)の物語である。