中国とは何か | 旧ブログ

中国とは何か



シャトー飯店のアボガド・スープ、
アボガドの緑、ふかのヒレと渡り蟹の
繊細で美味で上品ないかにも宮廷風。

満洲貴族だったマーさんが戦後の日本で
子供のころ家で親しんだ食事を思い出しながら
再現していったお料理・レセピの一つだそうです。

ちょうど月刊「ぺるそーな」11月号の
「世界史はモンゴル帝国からはじまった」
にちょうど、満洲人が建国した清という国と
北京について・・・

日本一の中国学者とモンゴール学者のお二人、
高度な内容ですが、
本物ほどわかりやすいのです。
一度お読みください。

このお話はいづれシアターテレビでもっと映像を活用して
お話をしていただきたいと思いますが、とりあえず
ちょっとご紹介します。

「岡田英弘(歴史家・東京外国語大学名誉教授)
 宮脇淳子(モンゴル史学者)

 
北京オリンピックのために大部分が取り壊された
『胡(フー)同(トン)』(浅田次郎さんの『蒼穹の昴』でおなじみです)
と呼ばれる北京の古い街は、
清朝時代には満洲人の官舎街だったところです。

街路に面した部分は壁で、
入り口は一つだけで真ん中に広い庭があり、
これを取り囲んで、いくつもの部屋が作られていました。
(同じような町づくりの例はローマのシーザーの生家などに見られます)

各胡同は官舎ですから、サイズや見た目も似ており風雅な建物でした。

ところが毛沢東の時代に、
国家が安い値段で強制的に買い上げたり借り上げたりして、
貧民に居住を許したため、中庭にまでバラックが建てられ、・・・

(とまれ)・・・北京は満洲人の町でした。

・・・紫禁城の西側の、今の北海公園や、
共産党の高級幹部が住んでいる中南海は、
もとの皇城の内部です。
 
一六四四年、明が反乱によって滅び、
万里の長城の北で建国した清が、
都を瀋陽(ハルピンのこと)から北京に移して
中国を支配することになりました。

・・・満洲人は「八旗(はっき)」に組織され、
八つの区画に仕切られた内城の官舎に家族とともに住みました。

・・・本来の満洲人だけではなく、
モンゴル人、朝鮮人、漢人、ロシア人、その他の種族もいました。

「胡同・フトン」の語源は、モンゴル語の「グドゥム(巷)」・・・

北京の内城に入居した八旗の旗人たちの共通語は、
満洲語と山東方言のちゃんぽんでした。
これが現在の北京方言の基礎となった
「官話(マンダリン・チャイニーズ)」です。

なぜ山東方言だったかといいますと、
清が瀋陽で建国したとき配下に入った漢人は
遼河デルタの人たちで、・・・

漢軍八旗となった遼河デルタの漢人たちは、
じつはモンゴル帝国時代に強制移住させられた
高麗人の子孫がほとんどでした。・・・」

これで私も納得、
清朝の人は朝鮮族の血がたくさん混じっているのです。
歴史を学ぶと思いがけないことを
知ることができます。

テレビ映画シリーズで「大王四神記」という
高麗王朝建国の歴史物語に私は今はまっていますが、
そうか、という感。