大国の意思 | 旧ブログ

大国の意思



真ん中の塔にはすべて人がびっしり張り付いています。
息を飲むような炎の塔、
それはこの塔に張り付いた男たちが赤い旗を靡かせたものでした。

オリンピックの閉幕式は中国の意あるところを
真正面から見る思いでした。

閉幕式をセンチメンタルに見たいからというのではなく、
中国はどんな演出をするかということは
見ておかなくてはならない、と思って最後まで見ました。

圧倒的な人を圧倒的に動かせるのだといこと
それが民主主義国とはまた違う国のありかたを見ました。

月刊「ぺるそーな」9月号が出ました。
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いよいよオリンピック後の世界は
経済がどうなるか
これから世界はどうなっていくのかに
関心が移っています。

日本には答えがあるのです。
政治の出番なのです。

羊のように大人しい日本人、
でも本当はみんなの一票こそ一番力があるのです。
早くそれに日本の人が気づく以外に
日本の未来を開く道はありません。

久保紘之・平成太平記より

「サミットは三木武夫から始まったのだ

 洞爺湖サミットも無事終わったというか、
何事もはっきり決められなかったことが、
福田総理の唯一の評価できる点だということです。

今日のようなリーダー不在、国の方針も定かでない日本の
有りようの中で何らかの国際的な取り決めを
することこそ国益に反したことになります。
 
ところでサミットはフランス大統領ジスカール・デスタンが
始めたと言われていますが、
本当は三木武夫が話しを持ちかけたことなのです。・・・

・・・その三木が、なぜ日米英仏・西独・伊の
六カ国のサミットをやろうと言い出したのか。

もちろん、オイル・ショック以降の世界経済を
経済先進国が中心になって乗り切るという表向きの名目はあります。

しかし旧・ソ連や中国の拒否権で
日本はどうしたって国連の常任理事国にはなれない。

そこで、日本が中心となりカネを持っている先進国を集めて会談をする。
サミットとは心構え次第で
日本がリード出来る場だという三木の考えを誰もわかっていない。

つまりそれは、常任理事国の一つに列せられると同じだ、
という発想なのです。

しかし、今に至るまで福田を初めとした日本のピンボケ連中は
卑屈に後ろに構え、「非常任理事国」みたいな立場にいる。
日本こそが前に立つべきなのです。
 
さて今回の洞爺湖サミットのメイン・テーマは地球環境でした。
しかし、これまでの人類の進歩が合理的根拠で変わった
などということは稀にしかありません。

今、環境問題を解決するにはアメリカや中国や
ロシアやインドが四の五のいおうが、
一点突破で一国が機関車のように突っ走っていく以外にないのです。

そして産業革命以来のパラダイムの完全なる大転換を
起こすしかありません。

それは日本なら起こすことができるのです。
もともと資源のない国なのだし、
原発やリチウム電池で技術的に先んじている。

まずは環境問題こそ、21世紀の日本が取り組むべき
最大の戦略産業なのだというダイナミックな大構想を
打ち出さなければいけないのです。

そして五十年後、百年後の世界の夢を示す、
それが洞爺湖サミットで福田に課された最大の課題だったのです。
 
イギリスの産業革命で、ワットが蒸気機関を発明したこと
によって一気に世界中が一変しました。

いつまでもCO2削減だの、排出権の売買だの、
小さな発想ばかりで、世界が変わるわけがないのです。

現在は化石燃料がなくなりつつあります。
最後のオイル・ショックというわけです。

ブッシュとドイツのメルケル首相の合意にもあるけれど、
世界のトレンドがようやく原子力に移行しなければならない
という風潮になってきています。
 
リチウム電池は実は日本で既に技術的には既に完成しているのです。

世界の偏見は北里柴三郎の血清、レーダーの八木秀次、
テレビを生んだ高橋健次郎など多くの日本人の
発見・発明を認めなかったと高山正之氏の本にもありますが(PHP「モンスター新聞が日本を滅ぼす」)、

リチウム電池という本物のエネルギー革命も
日本が主導できたところを、
今またぞろアメリカや中国に先を越されつつあります。
 
リチウム電池で動く自動車は、時速370キロも出るようになった。
しかもポルチェの性能を超える。ただしまだ開発にカネがかかる。
 
こういう時が、政府の出番です。
開発した慶応大学の清水教授と吉田教授が言っている。

政府が本気で開発に協力してくれれば、
車もガソリン自動車並みの値段で作れる。

第一、全国にリチウム電池車の充電スタンドを配備することは、
ガソリン・スタンドを活用すればいいだけだそうです。

それで三十分の充電をすれば、東京・大阪間は十分に走れるという。
或いは五分の充電でも八割がたは充電する。

もちろん、家庭でも夜間の安い電気料金を使って
八時間あれば充電できるということです。
 
また家庭用の電気もリチウムで供給できる。
太陽光発電とか風力発電を併用すればもっといい。
 
しかも原料が海底の泥、それならば日本は資源大国といえます。
 
ところでリチウム電池は一つ二千万円かかる、
それで自動車を作ったら、今はまだ一台2億円はかかるといわれます。

そこで出てくるのが金持ちの存在の価値です。
金持ちの役割の重要なポイントの一つは、
新自由主義の提唱者であるフリードリッヒ・ハイエクが
指摘しているように新商品をテストする機能、

つまりある品物を高いうちに買って試すことです。
買うことで作り手に資金を作ってやる。

そのうち品物が量産体制に入ることができて、
価額が下がり庶民の手に渡る。・・・

ところで金持ちはどこにいるかといえば「国家」、
国ほどの金持ちはいない。

リチウム電池に金がかかるというのなら、
政府をあげて資金援助すればいいということです。

戦略産業として扱えば値段なんていくらでも下がっていきます。
それが政治の役割であり、国家をあずかる官僚の仕事です。
 
戦後日本はそうして立ち上がってきたのです。
その原点に立ち返るときです。