マックス・ウエーバー | 旧ブログ

マックス・ウエーバー



佐々木美穂子さんのこの油絵は眺めるほどに
なぜかこのシャンデリア・マリア・テレサに合うのです。

はっと気がつく、彼女の和洋のセンスは
ゲルマン的美学と知性に通じている。

ところで
私の秘かなる知恵の源は、
月刊「ぺるそーな」で
亀井龍夫編集人が毎月紹介してくださる
「出生したければ本を読め」

亀井さんの「戦後の名作」も、
「ぺるそーな」で、はじめて読んでいます。

とても原書は読めないのですが、
どうせ読んでもこれほど内容は読み取れないと思います。
勉強不足と思う方はためしに読んでください。
http://www.hamadamakiko.com
より「ぺるそーな」は毎月出版後は無料で読めます。

『マックス・ヴェーバー物語』

長部日出雄著
新潮社
本体1600円

棟方志功の伝記をひっ下げて文壇に登場し、
太宰治の伝記で文学賞を総ナメにした
津軽出身の作家によるマックス・ヴェーバーの伝記だ。
 
早稲田大学文学部哲学科の学生だったころの
愛読書がヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』だった。

愛読書というより、バイブルだったといったほうがいい。
枕頭に置いておき、毎日数行づつ頭に入れて寝ていたという。

不幸にして大学は「映画と酒に溺れて」卒業しなかったが、
それから以後も書店でマックス・ヴェーバーの何か、
を見ると手がのびたという。
 
そういう意味では、著者が最も書くべき伝記だった、ともいえる。
つまり、これを書くためにもの書きになったといえる。そういう本である。

カール・マルクスの少しあとの人であり、
世はマルキシズムばやりだけれど、それには目もくれず、
資本主義が世界を支配するだろうと見通した。

ウィーンの喫茶店でシュンペーターと
ソ連の将来について議論するところが書かれているが、
話しながら、つい怒りを含んだ大声になるヴェーバーだったという。

『プロテスタンティズムの倫理と資本主義』の最後に出てくる
「末人(まつじん)」のイメージは、
ニーチェの『ツアラトゥストラかく語りき』からきているそうだが、

いずれにしろ、これらイメージはヴェーバーの
世界の人類の未来を見通していた証拠ということだ。

マックス・ヴェーバーこそ「二十世紀を見抜いた男」であり、
彼こそ、「資本主義の繁栄と混迷を予見した男」ということになる。

事実、「9・11事件」以後、彼の予見していた通りになっている。
マックス・ヴェーバーの若かりしころは、

ビスマルクの全盛時代で、普仏戦争でプロシャが勝利した時代でもあり、
ドイツにナショナリズムの吹き荒れた時代でもあったが、

さすがマックス・ヴェーバーにとっては、
ナショナリズムなんかどこ吹く風で、ビスマルクでさえ批判の対象だった。
 
最後を引用してみよう。
「その圧倒的な(資本主義の)力は、近代西洋のみならず、
いまや世界中の隅から隅まで支配しようとしている。

国際化とともに画一化をももたらす巨大な圧延機(ローラー)は、
数えきれないほどの多様性をもつ世界の各地に固有の自然や文化や歴史を、
おしなべて無残に破壊してしまいかねない勢いだ。
 
その結果、現在、地球上に生じている数数の難問におもいをめぐらすなら、
いかにわれわれが『末人』であるとはいえ、

ただひたすら『運命的な力』に引きずられ、
背を押されて行くだけでよいのだろうか。
 
――このままでいいのか、いけないのか、それが問題だ。
 
新しい世紀が、まずその疑問から出発しなければならないのは、
多くの人の目に明白であろう。
 
比類ない洞察力をもつマックス・ヴェーバーは、
二十世紀における資本主義と社会主義の運命を、
ともに鋭く見抜くことによって、
そのように根本的な問いをわれわれに発しているのである。