囲碁、「才能は鈍さでのびるを実践しています」 | 旧ブログ

囲碁、「才能は鈍さでのびるを実践しています」



子供のときから自他ともに許すスロースターターの私です。
でも秘かに誇りがあります。
何事も不思議に尻上がりにのめりこむタイプです。

いまでは渡辺淳一さんのいわれた
「才能は鈍さでのびる」を信じています。

囲碁仲間の女友達に
「あなた本気でやる気あるの、
 基本をちゃんと勉強しなくちゃ
 まず一冊本を読むことよ」と
先月言われてしまいました。

彼女と対局したことはない、でも、この一言は重い。
だって本当に私もちゃんと基本から学んでいるのですもの。
ただどうしても、もう一つ目が開かない。

しかも先生は日本一の大竹先生と本田幸子先生。
先生に申し訳ない。

この友人、早稲田の囲碁部に一年いたからって
なにを生意気な、と思っても彼女にそういわれてもしかたない私。

血液型と同じにやっぱり校風というものがある、
そういえば森村学園と東大は妙に相性がよかった。

いづれまず彼女に一局お願いできるようになろう。

よし、とようやく思わせてくれたこの人は
神さまのお使い。
愚図の私のお尻を蹴っ飛ばしてくれた。

まったくゼロからはじめる人のために書かれた
「東大教養囲碁講座」という新書(光文社)を
まず五冊買って家中のいろんなところに置いた。

ようやく一読して目からウロコ、
ということも今までの鈍くものろかった
遅々たる学びの積み重ねで見えるようになったのです。

いま牛のようにじっくりこの本を読みなおしています。
二度目の読書でようやく少し目が見えてきた囲碁、

1 基本を理解し、錬磨し、・・・
  つまり学ぶ(マネぶ)、練習・習う(ナレる)
  対戦して勝負することは「勇気を養う」
  つまり学習の本質そのもの

2 勝負は、状況を判断して、自分の責任で決断する。
  自分の判断と実行に責任を持つ習慣がつく。

3 「見ているのに見えていない」ことがよくある、
  ということに気がつく。
  石を実際においてみてはじめてあっと失敗に気づく。
  
  頭の中で石をおいて見えるようになるにはひたすらナレ、
  練習の大事。

受験勉強をはじめる前の高校一年生あるいは二年生、
この本を夏休みに寝っころがって読むぐらい腰を据えたら、
大学受験など楽々できると思います。

ようするに大学では新入生が何かを知っていることを求めているのではない。

東大囲碁講座で、いみじくもわかります。
東大ではどんな新入生を待っているか、
既に何でも少しづつ知っている若者ではなく、

無垢の青年、無心に大学で語られることを、
そのまま聞き取り書き取りマネびとり、
習って、実行する勇気のある
平均年齢18~20歳前後の若者を期待している。