岩見隆夫と久保紘之 | 旧ブログ

岩見隆夫と久保紘之



もはや何十年のつきあいです。
博覧強記あるいは狂気、
この二人が揃うときほど面白くて夜更けも忘れます。

中曽根康弘先生の90歳をお祝いする会、
散会後もなごりおしくてまだ
談論は続く。

この二人、いい顔、いつでも青春の気に満ちる。
目を三角にして口に泡をとばしてわめきあいながら、
互いに敬意をもって礼を忘れないから長く続きます。

昔から久保ちゃんが語りだすと、
「それミコトノリがはじまった速記・速記」と
岩見さんは私をせきたてる。

岩見さんと久保ちゃんと私なんて
いつもだんだん大声で自説をわめきあう。
岩見さんは長州人の典型。

さんざんたてつかれながら、岩見さんは
ほう・ほう・ほう、と聞いてもいる。
でも、ときどき目を三角に口はとんがる。

もともと、かつて岩見さんが私に
「この男だけには会っておく価値がある」、と
あるパーティの入り口で引く手あまたの私を
一時間も立って待たせた人物、それが久保紘之。

端からみたらもう二度と顔を合わせることはないに違いないと
心配するようです。
それは聞いてるほうが自分の尺度で見ているだけ。

目を三角にしていまだに吼えまくりますが、
会えばいつでも悪戯仲間。
今は時効だから白状、

この三人で語らって17年前、都知事選挙をやったのです。
私はそのころいたのはハーバード、
だからうるさい邪魔のないボストンから立候補宣言。
壮烈な実験をしました。

そのときボストン八策を発表。
その7つまで今までに実現、
1つだけ残っているのは、「皇室は今こそ伝統と文化
の中心として京都の聖地へ御立ちを」、がまだ。

奠都と遷都は違います。
でもそろそろ時期ですね、ただ
こればかりは皇室ご自身の発意でしか実現しないでしょう。

勿論、今のような非常時、
天皇ご自身が日本国民のために
ご親政されてもそれが国のためならいい。

明治天皇は御自ら政治をされるために
東京に奠都はされましたが、
遷都宣言はされていませんから、
まだ日本の首都は本当は京都。

日経の夕刊27日より
京都府立医科大の吉川敏一先生
のコラムから引用しますが、

「エイジングとは熟成という意味もある。
すなわちスーパー・ヴィンテージ」
これこそ中曽根先生だよね、と。

プラトンは「老人こそが国を指導する政治に
積極的に参加するべきだ」とした。一方、
アリストテレスは「老人は速やかに若者の公職を
譲るべきである」と説いている。

師を求めたアレキサンダーに、
アレキサンダーの影が邪魔だと言うような嫌味なインテリ。

やせこけてひねたインテリによくいる悲観論者、
これでは国はもたない。

精神の怠慢を老人に与える、
これこそ老人にとっての猛毒だと吉川先生。