久保紘之の平成太平記 | 旧ブログ

久保紘之の平成太平記



写真は月刊「ぺるそーな」6月号の表紙です。
私に大好きなチチアーノのビーナス
あるときコモ湖のほとりの美術館にはいったら
ばったりこの絵に出会って衝撃。

6月号の久保紘之「平成太平記」は
是非ご紹介したいので以下に抄訳します。
ダーキニーというのがキーワード

「これまで何度か紹介したように
西田幾太郎の言った日本の皇室の存在の根本、
すなわち『無の場所』

あるいは河合隼雄が記紀神話から抽出した
『無為の中心』。

この存在のお陰で日本には
中国の易姓革命のような
突極の革命は起こらないできました。
革命をめざす動きはいつも原点である皇室に回帰するからです。
 
今から十五年前、黄色いロイヤル・カラーに
身を包んでご成婚の記者会見に臨んだ
未来の皇太子妃・雅子嬢は、こう言われました。

『(結婚)お受けするからには殿下にお幸せになっていただけるように、そして私自身もいい人生だったと振り返れるような人生になるよう努力したいと思います。』
 
これは戦前戦後の皇室の歴史で、誰も言えなかったことです。
まさに西洋の個人主義が憑依した典型的な帰国子女の考え方です。
・・・

・・・中沢新一の『悪党的思考』という本に
黄色い狐の王の話が出てきます。

これはダーキニーというインドの女神です。
ダーキニーは性や愛欲を司る神で、
人肉や生きた人間の心臓を食らうと言われていました。

僕はそれを雅子妃の黄色いドレスに見て
秘かに期待もしたものです。
或いは皇室を食い破るダーキニーになるかと危惧もした。
 
・・・日本には、「みかけ」と「ふり」の文化があり、
型から入っていく。

例えば美智子様なり紀子様も、
まずは型から入り、時間と共に馴染んでいった。

そうして 微笑 一つでややこしい問題を
乗り切れるほどになったのです。

ところが、西欧原理に固まった雅子妃は、
この 微笑 を手に入れられなかったのです。

今、適応障害という病に患った雅子妃に、
僕は中沢が書いていた『翼を奪われ天使のような哀しみ」』
を湛えた黄色い狐の王ダーキニーを重ね合わせてしまうのです。