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マキ子ジャーナル

アメブロには似合わないブログでしょうが、こんな変わったブログもあってもいいでしょう。


2008年5月8日

意外でしょうか? 心は形が導く

書は人を表すといわれます。

上手とか下手には関係ありません。
そうならば、心をこめて自分の気持ちを
書く以外にありません。

江戸の人、熊沢蕃山は、勝海舟の「氷川清話」に
も、「熊沢蕃山は、儒服をつけた英雄」といわれて
います。

「その字は、一字一字みがきぬかれた玉のような高雅な・・」と
月刊「「ぺるそーな」5月号に清雅堂主人・広瀬保雄氏。

意味は、
「心は本来、虚なるもの、だから
物に応じて心は移ったり変わったりしない。
・・・
心を何ものにも捉われない状態に保って、
・・・本来のことを悟り、・・
それで天の道を知るに至る」

というような意味。

今日の勉強会にて西尾幹二先生、
「皇室に、本来のお姿に還っていただきたいのだ、
公務をたくさんなさることが皇室の価値ではないのだ」、と。

久保紘之曰く、
「案外、雅子妃の公務拒否はいいのかも」と。

日下公人先生、「明治維新のとき、奠都宣言はされたけれど、
遷都宣言はされていないんだよ」と。

奠都と遷都の違いを、あらためて知る。

奠都(てんと)とは、天皇陛下がいっとき御所を移られること、
遷都(せんと)とは、都を本格的に移すこと。

京都がまだ本来の都だということです。
皇室のあり方として示唆に富みます。

でもいくら私たちが議論しても、
結局、皇室のありかたとしては、
天皇ご自身でなくては
決められないことだと私は思います。